前回の記事で強制ではなく内面的欲求から生じる自発的行動にこだわることを主張したのは、単にそれが大学受験における成功をもたらすだけでなく、その先の人生で必要な能力の一つだからです。
高度成長の時代に私は生活していませんので想像でしかありませんが、過去には国民の最大公約数的な「幸せ」があり、皆がそれを目指していた、ある種の潮流のような渦があったと考えられます。図にするとこのようなイメージです。
一つの方向に向かって皆がすすむということは、「あるべき姿」が共通認識だったということであり、自我の成長が伴わなくとも流れに身を任せて努力するだけで満足することができたということです。価値観は内的なものではなく外的なものですから、深く考える必要が今ほど必要なかったと想像できます。
これに対して、現在ではあるべき姿の潮流というものは消え、その代わり貧困層に転落してしまう負の潮流が存在する程度で、「どこを目指せばいいのか?」という問いは各個人にゆだねられる時代になっています。
経済成長が以前ほどではないとはいえ、日本はとても生活しやすく衛生環境も良い国ですから、10万円の稼ぎさえあれば幸せにくらすことが出来ます。しかし、経済学で「限界効用逓減の法則」といって1杯目のビールより2杯目のほうが満足度が下がる、つまり「飽きる」という法則は強烈で、たとえ幸せであっても現状を続けることは人間にとっては苦痛なのです。
自我が成長していない人にとっては、生きている目的が分からなくなる時代です。逆に、内面的欲求を認識することができて、それを自発的行動に移せる人にとっては、色々なことが実現可能なとても彩りある時代と言えます。
幸せというものを各個人が自ら定義することができて、実現するためのツールも極めて豊富にある。これは経済が成熟しきって本当に多様なサービスが安価に提供されている日本の素晴らしい点です。私も塾を開くにあたってIT機器や机椅子の備品などを安価に入手できましたし、チラシはインターネットでいくらでも安価に刷ることができ、経営に関する様々な情報を手に入れることも容易です。
内面的欲求の認識、そして自発的行動の実現を身につけるには、どんな些細なことでも最初の一つをつくることです。たとえば「雲が低く見えるときと高く見えるときがあるのはなぜかを知りたい」というのは内面的な知的欲求の一つです。これを疑問のままにして解決しない人がいる一方で、インターネットで調べたり図書館に足を運ぶ人もいるのです。当然、心の欲求を自分でかなえてあげることは一つの満足を生みます。
この欲求は単純な好奇心だけでなく、場合によっては他者に向かうものもあります。「道に空き缶が落ちていた、汚いからゴミ箱にすてたい」というのは外に向かった欲求です。
こういった些細なことでも一つ欲求の認識から行動の実現までを行うと、次により大きな欲求が生じたときも同じように認識・行動を実現することが出来ます。
高校や大学を卒業して選択肢が多岐にわたり何をしても良い状況になったとき、自分の内面的欲求は何なのか、そしてその中でお金を稼ぐことができる、つまり人の役に立つものは何なのかを見つけることが出来るという能力が、人生を豊かにするものだと思います。
そしてこの能力を身につけるのは、前回の記事でも書いたとおり宿題宿題といって生徒を強制することではなく、内面的欲求を認識させることがスタート地点です。
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