私、2010年に転勤で東京から名古屋に引っ越したのですが、
「名古屋ではトーストに小倉をぬるのか?!」
というその時からの違和感は、最近、珈琲元年清須店でBセット(トースト+小倉+卵)を頼み始めて5回目くらいで消えました。
「これは、平たく言えばあんパンじゃないか・・・」
小倉+トースト=あんパン
で私の中ではつりあいの式がとれました。
これはつまり、中身を分解して違う言葉で言い換えると新鮮さをもたらすということですよね。
あんパン =あんこ+パン=小倉+パン は基本として、
ハムサンド=ハム+パン =豚肉塩漬け+パン とか。新鮮です。
考えてみれば、ひつまぶしも似たような言い換えで
鰻重 =うなぎ+ごはん=ひつまぶし
ですね。
とすると私は=人間+参考書50冊分 とか。
しかし食べ物と違って、=人間+〇〇で表現した〇〇の部分、つまり能力というのは人間そのものと切り離せないので、=人間×〇〇のようにかけ算にしたほうが適切かもしれません。
とすると任意の人間は
A君=人間×〇〇
B君=人間×△△
のように表現するこができる。能力がまったく同一の人間というのは存在しないのだから、〇〇と△△は互いに素である。
つまり、人間らしさというのは互いに素な能力と表現することができる。
でも人間の部分は本当にイコールなのだろうか?ざっくりイコールとしてしまっても良いかもしれないが、はっきりいって全く別物と言っても良いし、別物としたら最終的には細胞の作り方まで突き詰めないと同一では無いし、その場合そもそも男女で23個目の染色体の作りが異なるから、22個の染色体までが同じということになるが染色体が22/23同じことにどれだけ意味があるだろうか?こう考えると意味のある共通部分というのは無いのではないか?
だとすれば人間らしさというのは能力ではなく、ヒトそのものかもしれない。