月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

周りと違う選択は怖いが、そこで流されたらおしまい

手元にある10年前くらいの合格体験本のなかである一宮高校卒の早稲田の学生が「高2までは国立志望だったがよく考えたら周りに流されているだけだと気づき、早稲田に志望を変えた」と書いていました。尾張、いや愛知県というのは国公立宗教の国なのでこういう風に自分の考えを持つのは本当に素晴らしいと思います。なんとなく「名古屋大学」を志望している生徒のなんと多いことでしょうか。

しかしこれは簡単ではありません。難しいのは、「私大を目指したい」(私大というより早慶ですよね)、という気持ちの芽生えを「私大を目指す」という決意に変えることです。

wantとdecideには大きな隔たりがあるのです。とくに「周りと明らかに異なる選択」の場合には顕著です。

そりゃそうです。周りと違う選択というのは勇気が必要です。だって小学校、中学校とずっと周りと同じ標準的な選択を、より高い精度で仕上げることが正義だと教えられてきたのですから。「みんな違って、みんないい」なんて建前では言いますが、実際周りと違う選択をしたら親も先生も一斉に否定するのです。

ですから「早慶に行きたい」と思っても、まわりがコッコウリツの大合唱をしていれば、「やっぱり名大だよねっ☆」と流されるのです。愛知県においてコッコウリツという標準的な選択を高い精度で成し遂げた象徴が、名古屋大学です。

「行きたい」という気持ちの芽生えを「行く」という決意に昇格させるには、非常に心細く勇気がいることかもしれません。

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しかし、実は往々にして後で「ほらみろ」と思うのは、多数派ではなく少数派なのです。

よく考えてください。多数派というのはその集団で偏差値40-60の無難な人たちの総意です。しかもこれは総ではないのです。最後に消えてしまうタマネギの皮のように、一人一人「なぜコッコウリツなのだ?なぜ名大なのだ?」と質問したら「周りがそうだから」しか答えられないのです。自分の頭で思考できない人の集団です。確固たる意思をもち自分の人生の夢を成し遂げるために名大志望という選択をする人というのは、実はほとんどいないのです。

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このなかで自分の人生を生きている人は誰なのか、考えるまでも無く明らかです。こういう人が自分の夢や目標へむかって少しずつ近づいていけるのです。

これは受験だけでなく人生のどの曲面でも言えるのだと私は考えています。自分の目指したい方向が多数派と違っていたら私の場合自信というか確信に変わります。私の中で多数派の意見=偏差値50の判断=成功には至らない、という方程式があるからです。

もちろん少数派の選択は成功も失敗もありえますが、それが他人ではなく自分の人生であることには間違いがありません。自分の人生を生きることは何より、この世を生きている実感と充実感を与えてくれます。

・・・

周りに流され、だれでもない他人の人生を歩み始めるのか。

勇気をもって、自分の人生を生きるのか。

そういうスケールの話です。

清須市の大学受験 相伝学舎
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