月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

宿題、テスト、補習、不要

私の塾では、宿題・補習・テスト、こういったものはほとんど無縁で、ただ淡々と授業を進めていくだけです。宿題があるとしたら体験入塾のときくらいで、入塾のときには勉強のやり方を覚えてもらうために一定期間でやるべき量を設定して、それをクリアしてもらいます。しかしそれが過ぎれば、ほとんどありません。ほとんどというのは、たまに「来週までにこの問題といてきて」というのが2-3問ある程度ですから、量としては無いに等しいといって良いでしょう。

テストで管理することもありません。「次のテストは単語帳の100番〜150番ね」といって単語を覚えさせるようなことです。こういうのは作る私も面倒だし、テストされる生徒も嫌でしょう。

塾なので補習もありません。だいたい、授業というのは聞いて「分かった気になる」という点ではすぐれものですが、実際勉強が「わかる」のは自分の手を動かすときなのです。先生が授業で何度平方完成してみせても、生徒が自分で平方完成しないことにはいつまでたっても頂点の座標を求められません。授業時間が増える=自習時間が減る、というのは当然ですから、わざわざ「わかる」時間を減らす必要もありません。

よって、課題・テスト・補習、これらは不要です。

ではどうやって生徒の学力を管理するのでしょうか?

こたえは、「管理しない」です。

はっきりいって、誰かに管理されないと勉強しない高校生や、宿題を終わらすことに快感を覚えている思考停止中の高校生を相手にしているほど私はヒマではありません。今きている生徒はそろそろ入塾から1年になるわけですが、私が管理しなくてもみんな自分で勉強して学力をつけています。そういう生徒に「あれやれ、これやれ」というのは失礼な話です。

例外的に高2数学は現在入試演習をしていますから、授業であつかう問題を前もって解いてきてもらっていますが、それも授業の日に確認するかといえば、しません。生徒が理解しているかどうかは授業の感触でだいたい分かるし、予習は私のためにやってもらっているのではなく自分のためにやってもらっているだけなので、それを私が確認することに意味はないのです。

普通の教師からしたら、宿題をあたえて強制的にそれをやらせれば教師は安心感が得られるかもしれません。しかし、生徒は教師の安心感のために勉強をしているのではなく、第一志望の合格通知が欲しくて勉強をしているのであり、その先にみている自分の夢に向かって勉強しているのです。

勉強の主役はつねに生徒側にあるのですから、教える側は最低限生徒の志望校合格のために合理的になるべきです。できるのであれば、さらにその先の生徒の夢にたいして何かできることがないか考えることだと、私は考えています。

 

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp