月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

尾張の高校に進学するなんて理解不能

数ヶ月に一度、波がくるのですがなんでこの地域の人は五条や西春高校にありがたがって進学するんでしょうか?内情を知っていたら絶対に行きたくないし行かせたくないのですが、本当に不思議です。

仮にこれらの学校が私立高校で、かつ入試前に明確に「うちはスパルタで言うこと聞くまで勉強をやらせます。時間は与えません」と対外的に告知していて、なんなら同意書を書いたうえで入試・入学をさせるというのなら分かります。

ラーメンを食べたければ「ラーメン」の文字の看板がある店にいけばいいし、お茶したければ「カフェ」と名前がついたお店にいけばよいのと同じです。

最初からスパルタしてほしくて進学した生徒は問題ないのですが、そんなことはあまり関心を持たずに通学距離や学力のレベルなど現実的な観点から受験する生徒だって一定数いるはずであり、そういう生徒からしたら「厳しいとは聞いていたが、入学するまでこんなに厳しいとは想像できなかった」となります。

愛知県民の多くが公立高校にいくということを考えれば、「全員がその教育を好きこのんで入学している」というわけではないでしょう。果たしてそこまで生徒に強制させることができるほど、公立高校は極端な指導をしてよいのでしょうか。

全員言うことをきくまで強制させるという高校において、「入学したおまえが悪い」というノリで、参加したくないという生徒に補習を強制したり、大変な負荷のかかる宿題を与えたりするなど、まるで生まれた瞬間に人生がきまっている江戸時代の封建社会か!?と思う次第です。そのうち自由民権運動でも始まるんでしょうか。その前に、「ええじゃないか」と狂って踊る人が出てきたりして・・・。

高校の言い分はおそらく「全員を一律に勉強させることによって、勉強に向かう雰囲気を作っている」のだと思います。確かに、人間良くも悪くも雰囲気に流されやすい性質がありますから、そういう雰囲気をつくってしまえば生徒は勉強に向かうでしょう。しかし、生徒から様子を聞く限りでは、そういう大義名分よりも「学校の言うことを聞かない生徒は悪い、とにかく言うことを聞け」という生徒に言うことを聞かせたい自己満足のほうが強く感じられます。最初は「生徒のため」つまり生徒の合格のための手段として始めた習慣なのではないかと予想していますが、今ではその習慣自体が目的となっている気がしてなりません。

というのも、勉強しない生徒に「黙って言うことを聞け!」というのではなく、勉強熱心な生徒の「こうしたい」という希望にたいしても「黙って言うことを聞け!」という様子だからです。

勉強しない生徒に無理矢理やらせれば偏差値40が50に上がることはあっても、35に落ちることはないでしょうから「あのとき勉強しておけばよかった」という生徒の後悔をあらかじめ避けることができます。これは高い確率で親切な行動という結果になりえるので、非の打ち所はありません。

しかし、「こうやって勉強したい」という希望がありかつ毎日しっかり勉強している生徒にたいして勉強方法を押しつけることは偏差値50の生徒が偏差値60になる可能性を上げることもあれば下げることもあるはずです。可能性を下げることがありえて、かつその生徒の人生に責任をとれないのだとしたら、無責任な押しつけとしか理解できません。理解不能です。

生徒に聞く限りではなかには「あまり宿題をだしたくない」という先生もいるようなので、先生がた全員がこういうわけではないようです。ただ放任してくれる先生の割合は極めて小さいと思われます。

 

ちなみに私、これだけ色々書いて居ますが議論をするつもりは一切ありません。「木村その通りだ!」と思う人だけ塾に来てくれればよいし、「木村おかしいだろ!」と思う人はチラシの裏に反論をかいてどうぞそのまま捨ててください。イデオロギーどうしは争ってもいいことなんてないんです。

私は愛知県教育委員会の人間ではないし、市教委の人間でもありません。「地域の問題」として問題提起しているのではなく、これらの高校に進学して苦しむであろう人が進学前に方向修正できるように、「個人の問題」として問題提起しているのです。

最終的には本来清須市から五条・西春に進学するであろう100人中5人くらいが方向修正してくれて、かつ塾にも通ってくれて塾の多数派になってくれれば私は管理教育にイライラすることもなく、五条西春高校もケチつけられることもなく、一部の生徒は予定どおり進学してそうでない生徒はまともな高校に進学して、みんな幸せになる。これが私の絵です。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp