月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

文系の時代か、理系の時代か

高校時代に「これからは理系の時代だ」と恩師が何度か言っていましたが、それから12年たって、その通りだなと思うこともなければ、その通りでもないなと思うこともありません。

社会全体でみれば文理別で特定の傾向があるのかもしれませんが、個人の問題としてみたときにマクロの視点というのはあんまり関係してこない気がします。

これからは個人の時代だ、というのが私の感触です。

たぶん、親の時代と比較したら個人でできることがかなり幅広くなっているんじゃないでしょうか。主に、インターネットの力が大きいと感じます。インターネットはそれ自体が個人の力を拡大する強力なツールだし、インターネットがあることによって個人にとって行動がしやすくなっています。たとえば食べログがあることによって、色々なレストランに手当たり次第いかなくても良いお店を見つけることができるし、価格.comによってモノの値段は下がります。私の塾に遠くからきてくくれている生徒がいるのは、インターネットの力に他なりません。 

 社会が成熟して、とりあえず80歳で死ぬまで生きることが容易です。仕事さえあれば飢えることはないし、お金がたくさんないと幸せになれない社会でもありません。一通りの幸せで満たされたら、個人の欲求は最大公約数的なものではなく、その人独特のものになります。ニーズの細分化です。

細分化されたニーズを拾うのは大企業よりも個人のほうが得意分野です。愛知県で大企業が塾をやるなら「コッコウリツを目指しましょう」とか「中学生は誰でも歓迎」としないと多数の校舎や講師という資源を活かしきれませんが、私一人なら「何も考えずにコッコウリツといっているだけの生徒はお断り」「中学生は瑞陵菊里千種志望者のみ」とやっていても、食べていけます。

文系でも理系でもない個人の時代で生きていくには、勉強はまあ最低限必要として、判断力が一番大事でその次に行動力です。

個人の時代とは、自分の考えが正しいと自信を持ち、実際に多数派と違っても行動できることが求められる時代だと考えています。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp