月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

みんなKYになれよ 1

もともと頭の良い生徒が高1から全力で疾走しつづけて超難関大学に受かったという誰の何の共感も呼ばない、ただ私が思い出にひたって嬉しいという物語はふたたびお休みです。また書きためておいて、そのうち公開します。まだ読んでない人は最初から読んでください。(五条高校の生徒が3年間しっかり勉強して国立大学医学部に現役合格した話 1

 

さて最近思うんですが、KYな人ほど人生は豊かになるんじゃないでしょうか。なぜかというと、世の中は「これはおかしい」と最初に気づいて行動した人が豊かにしていくものであり、世の中を豊かに出来れば自分の人生も豊かになる、と考えるからです。

もっと農産物を効率的につくれないかという欲求が農業革命を導いて、もっと布を大量い織れないかという欲求が産業革命につながり、情報革命は知りませんが誰かが世界中をネットワークでつなぎたいという欲求を持ったのでしょう?

全て「いまの世の中はおかしい、もっと良く出来るはずだ」と思った人が新しい世界をつくっていっているわけです。

世の中はgoogleやappleのような、世界中の超優秀な人たちがあつまる会社が「もっと世の中をどうにかできる!」という思いでもってどんどん良くなっていきますから、庶民は別に何も考えなくても恩恵にあずかれます。別に世界的大企業を持ち出さなくとも、愛知県で愛されているひつまぶしなんかは、誰かが「うなぎをもっと美味しく食べられないの?」と思って、お茶漬けにするなんて邪道だと周囲から色々と文句を言われるなかやってみたら、人々に受け入れられたわけです(いや、この下りは妄想です。間違ってたらごめんなさい)。

世の中をよくすることは規模の大小はあれど、全てに共通して「これはおかしい、もっと良く出来るはずだ」という欲求があるわけです。

でも、これって見方をかえれば「他人と自分の価値観は違う、でも俺の価値観が正しいから俺の価値観に合わせろ」という、いわゆるKYな人たちの欲求なのです。「まわりに合わせろ」と教育されていることとは180度反対のことです。皮肉なことに、社会をよくしているのは社会不適合者なのです。では、適合者は何をしているのかというと、不適合者がつくった世界を回しています。変な話かもしれませんが、私は世の中の仕組みはこうなっていると思います。

私なんかは社会の末端中の末端ではありますが、田舎の公立高校生の大学受験のやりかたは完全に間違いだと思ってやっています。正直、受かる人みんながやっていることを教えているだけなので、新しさはそんなにないのですが、それでも知らない人からしたら新しいことだし、確実に状況をよくしてくれるものだと確信しています。

昨日まで自慢しまくったKさんを持ち出さなくとも、塾にきてから学力を伸ばした生徒は少なくありません。私が空気を読まずに「管理教育はクソ、出来るヤツには道を照らしてやるだけで自走してゴールする」と叫んでいると、「やっぱそうだよなあ」という生徒があつまって、自分で進んでいきます。とくに田舎には大学受験の真実を伝えてくれる塾が少ないし、清須市にはうち以外にありませんから、生徒が成長する分だけ私は社会のフロンティアを押し広げている自負がありまして、このことは会社勤めして会社の仕組みを回していたときもはるかに人生を豊かにしている実感があります。

新宿の超高層ビルの何十階で年収○百万円でスーツをパリッときて大企業の名刺を持って休日は外車を乗り回して・・・というのは本当に刹那的。ボーナスのときは通帳をみて「ウホッ」となりますが、何も残りませんから。 

人間のかなり根源的な欲求は自己満足ではなくて他人を満足させることです。他人を満足させるには、KYになって普通とは違ったことを提供できなきゃ無理ですよ。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp