月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

1日3時間じゃあ偏差値50よ 2

余計なお世話を延長しますが、私宿題って本当にやめたほうがいいと思うんですよ。宿題って、指導する側もされる側も「言い訳」になって終わりじゃないですか。

指導する側は、宿題をたくさん出しておけば、家庭で宿題に追われる生徒をみた保護者が満足するだろうっていう打算が少なからずあるんじゃないですか?

指導される側は、とりあえず宿題をやっておけば勉強したことになるし、勉強した気になるからやっておこう、という気持ちになりますよね?

自分の人生に真剣になれない生徒に問題の大部分があることは間違いありませんが、宿題でもなんでも子供が勉強している姿を見ていたらそれで安心という親も、正直なところ文明化されているとは言いがたい(もっとも、多くの親は受験成功体験がないので仕方が無いことではありますが)。

宿題、補習、追試=熱心な指導、という図式は地域的なもの、言い換えれば構造的なものであり、その根っこにあるのは「価値観」ですから、私が何をいっても1mmも変わらないのは自明なんですけどね。

私は真剣な生徒だけを集めることで宿題を出さなくても道さえ示してあげれば生徒が自ら最短距離を全力疾走する、というプランを描いているんですが、学校がうるさいとせっかくあけたスペースを埋められてしまうんで困ったものです。今までも何人か可能性の芽を学校に潰された生徒の様子を見てきました。悲しいけど私にはどうしようもない。

渋滞の高速道路を運転中に、必要以上に加減速しなくてもいいように車間距離を空けておいたら、隣の車線からいかにも頭の悪そうな車が「ラッキー」と言わんばかりに入り込んできて、案の定ブレーキランプを切らさんばかりに加減速していて「あらら」という光景と一緒です。

世の中は頭のいい人がいつのまにか庶民からお金を巻き上げているという構図(携帯の料金とかね)になっているんですが、頭の悪い人が庶民から時間を巻き上げているという構図も忘れてはいけません。色々気をつかわないと、いつの間にか自分のカネも時間もありません。

blogを読んでいる塾生諸君は、お金を巻き上げられる心配は高校生のうちはないけれども、学校に時間を奪われる可能性は24/365で発生しているのでよく注意してください。受験生にとって一番貴重なのは「時間」です。時間の配分で、合否が決まっているんです。いや、受験生でなくとも、自分の人生の主権は自分でコントロールしてこそ生きるということです。主権が相手にあるのは、奴隷です。現代の奴隷は目に見えません。そうならないように。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp