月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

自習をするようになるというのは

さて先日は「テストなんて100点でも0点でもいいじゃん」と書きましたが、大学受験を受ける人は少しでも入試難易度が高い大学に入るべきと私は考えています。というか旧帝大か早慶くらい行っておかないと意味なくない?くらいには思っています。尾張の偏差値信者といえば私のことです\(^o^)/

私が慶應にいけて今でもよかったと思っているのは、大学で出会えた友人が魅力的な人ばかりだからです。彼ら彼女らの魅力をどう伝えたらいいのかわからないので薄っぺらい言葉しか出てきませんが、エネルギーがあって向上心があって行動力があり、社会人になってからも各分野で活躍している人ばかりです。そんな人でもサークルやゼミなどを通じて知り合って、一緒に活動したり遊んだりしているときにはまったく普通の人なんです。見た目はカローラなんだけどいざ高速にのったら実はランボルギーニのV12エンジンがつんであってめちゃくちゃ速いみたいな、そんなイメージです。

私なんかは中学受験をしたわけでもなく、小学校6年のときなんて冬の空にうかぶオリオン座をみて、冬の大三角形をみて「シリウスって綺麗だな」くらいのことしか考えていませんでしたし、中学校のときはたいして勉強もせず市内で2番目の高校にしか受かっていないし、高校時代は勉強をしたとはいえ高2秋からの14ヶ月程度しかやってません。

見た目がカローラで中身はスープラくらいといいたいところですが、正直中身はちょっとだけスポーツ設定のカローラくらいです。

でもそんな自分でも中身ランボルギーニたちと付き合っていると、自分も実はあのくらい速く走れるんじゃないかと勘違いして、カローラのエンジンを5速で7000回転くらいしてなんとか180km/hくらい出せているというのが現状です。

勉強でもなんでもそうですが、結局一番の原動力というのは「できると思うこと」、いや思い込むことなので、生涯にわたって「出来ると思い込む能力」をゲットできる難関大学というのはものすごく価値があると思うのです。

だから高校生活で多少捨てるものがあっても、勉強に時間を注いで受験に望む価値は十分あります。

しかし一方で、できると思い込む能力があったとしても行動が伴わないと「俺ってこう見えて速く走れるんだよね」と言いふらすだけでいつまでも走らないただのダサイ人になってしまいますから、行動力は最低限身につけないといけません。

そこで私が普段から伝えている「自習しろ」ということにつながっていくわけです。

高校生までは誰かしらケツを叩いてくれる人が周りにいます。とくに愛知県には派手にケツを叩き続けてくれる人がいっぱいいます。誰かにやれと言われてやることなんて、自分ではなにも考えていないのでラクに決まっています。

私のいう自習というのは、放課後に数時間やる自習では無くて、授業中にがっつり内職して補習は全て切って、自習のために朝から晩まで自分の時間を確保してからの自習です。

私のいう「自習をする」と決めると、一番最初に「この空いた時間で何をすべきか」という判断をまず最初にしなくてはいけません。そこで自分で考えだすのです。自分がどこの大学に合格したくて、そのために何をする必要があるのか。

え、塾生のみなさん考えてない?最初のうちは何も考えずにひたすら私の言う通りやっていただきたいですが、目の前のチャートを解いていくことが、みなさんの入試においてどこにどうやって繋がってくるのかちゃんと意味を考えてください。

それでやることを決めたあとは、自分で机にむかうのです。そこでハードルが2点あります。

まず第一に、自習をしなくても誰にも何も言われない状況で、自分で机にむかうことの難しさです。

自習しないことで誰かに文句を言われることはありません。たとえば学校の宿題をやらなかったら「提出しなさい」と言われるでしょうし、学校の補習なら欠席するとか授業中にぼーっとするというのは、その場においてはマイナスの意味を持ちます。しかし、たとえば自分でやると決めた青チャートを解かない、というのは誰にも何も言われません。それをやってないことのチェックが自分にしかできないわけですから。

ちなみに当塾では青チャを自分でときすすめることを推奨していますが、ちゃんとやってることのチェックはしません。授業中に実施する問題演習の様子でやっているかどうかは手に取るようにわかりますが、やってなくても「ああやってないのだな、いつ気づくのかな」と私が思って終わりです。

世の中は別にあなた抜きでも、もちろん私がいなくても回っています。でもそこで言われなくても何かするんです。私なんて塾を開いてみた土地が「自習」とはほど遠いびっくりするようなところでしたが、それでも空気を読まずに「大学受かるなら自習でしょ」とメッセージを発信し続けてきました。そんなこともちろん誰にも頼まれていません。むしろ耳障りに感じる人のほうが多いはずです。でも今まで塾に通った人のなかには、私の塾に通えて本当によかったと思っている人もいるでしょうし、通っていない人でもひょっとしたら何かの励みにしている人がいるかもしれません。

2つめのハードルは、周りの人がやってないことをやることの恐怖です。私はそういう恐怖をあまり感じないほうですが、西春とか五条みたいにクラスのほぼ全員が補習に参加するようなところに通っていたら多少は恐怖を感じていたかもしれません。まあそんな高校が私の時代にあったとしても絶対に進学してないですけどね。

そういう高校だと補習に参加しないと先生からはもちろん野村證券か光通信か大塚商会ばりに思いっきり詰められますし、なんなら同級生からも「えっ補習でなくておまえ大丈夫なの?」という見られ方をします。そういう人たちにこちらが「えっ補習に出てむしろおまえ大丈夫なの?」という気持ちになると言っても永遠に伝わらないでしょう。お互い理解しあうことは不可能なので別の星の人間として生きていくのが吉です。

これらのハードルをクリアできると、他人にどう思われようがやりたいことはやるという行動力が身につきます。たぶん。そうすると、難関大学にいって刺激的な友人と出会ったあと、自分も何かできるかもしれないという気持ちになったあと、行動できます。たぶん。

自習をするようになるというのは、周りと違うことでも勇気をもって、そしてケツを叩かれなくても自分でできるようになるということです。

当塾の卒業生をみていると、この生徒はこれから先何があってもなんとかして問題を乗り越えていけるだろうなという生徒が毎年何人かいるので、そこは私の嬉しいところであり他人に自慢できるところであります。


大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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