月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

人生を一瞬で不幸にする方法は、他人と自分を比較すること2

実は私が世の中に訴えたいのは、当blogのメイン読者層である教育熱心なパパママのみなさんに、他人と自分、じゃなくて他人とお子さんを比較しないで欲しいということです。

他人と自分を比べて「ああ自分はダメだ・・・」と落ち込む分には自滅なのであとは自分の責任で頑張れというハッピーエンドになるんですが、他人と子供を比較して「あなたはダメだ」と烙印を押して落ち込ませる場合にはその子の人生が一瞬で不幸になるので当の本人からしたら「僕の/私の人生返してくれよ」ということになりかねません。

自分の顔の写真をとることを想像してみてください。というかこれくらいなら今みなさんが持っているスマホで写真をとって実際に撮影してもらってもいいのですが、どちらにせよ、その写真をみてどう思いますか?それをfacebookの写真にするとしてアップできますか?「もう少し見た目がいいはずだ」と思うことはないですか?

やってもらって分かるとおり、自分のなかの自分象というのは実物の1.5倍くらい良いものになっているんですよ。それを自分だけで完結する分には全く問題ないのですが、お子さんにたいして1.5倍のイメージをしていた場合どうでしょうか。

想像と現実が違った場合、もちろん現実が優先されるはずなのですが、そこで想像を優先してしまうと他人と子供を比較してヤバイ方向にいってしまいます。

「あなたはもっとできるはず」とかもっと端的に「テスト結果が悪い」とか「成績が悪い」というのは何を基準にして言っているのでしょうか?

オール5の成績表とか、◎しかない通信簿とか、あるいは近所の優秀な同級生との比較になってませんか?

それが高校生相手なら「うるせえクソババア」という簡単な反応ですむかもしれませんが、小学生くらいだった場合には親からの愛情を獲得するために勉強するという抑圧になる可能性があります。

2013年にアナと雪の女王がヒットしたのは「ありの〜ままの〜私を見てよママ〜♪」という叫びとの共感だったように思えてなりません。

ひょっとしたらそれは十代だけの叫びでなはなく、今お父さんお母さんをやってらっしゃる40代50代の方にとっての叫びでもあるかもしれません。でも自分がありのまま受け入れてもらえなかったからといって、それをくり返していい理由にはなりませんから、ご自身が1.5倍のキラキラした「あるべき姿」を押しつけていないか是非考えてみてほしいです。

 


大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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