朝塾で、小学生にそれぞれが興味のある分野の問題集や、私から提案した問題集を解いてもらって自分で丸つけまでしてもらっているのですが、「おわりました」といって見せてもらった問題集を見ると、
解いた
間違えた
で終わっている問題が結構多かったりして、問題集を消化するという概念がまだインストールされていない状態だとそうなりますよね、というのをあらためて認識しています。
でもよくよく考えてみたら、問題集を一冊やり切るという経験は小学生のうちはそうおう多くないはずだし、学校では当然問題集の取り組み方など習わないだろうし、かくいう私も丁寧に手ほどきしたわけではないから、朝塾を通じて教えていくのが勤めだと思います。
問題を説明するのは容易なことです。これは小学生が相手でも、高校生が相手でも同様です。論理的に説明をすれば理解できるからです。
小学生に「リンゴが15個あります。そのうち2/3を食べたら、残りは何個でしょう?」という問題を解説するのも、高校生に「サイコロをn回ふるとき、1の目が偶数回でる確率はいくらか?」を解説するのも、私にとってはお刺身の上にタンポポをのせるくらい簡単で単調な仕事です。
一方で難しいのは、生徒の考え方を成熟させていくことです。
問題集にたいして、
「解いた、間違えた、理解していない、でも終わった」
という取り組み方をしている小学生に
「解いた、解説を読んだ、なんとか理解できた、もう一度自分で解いてみた、できた」
という取り組み方のほうが面白いとか、ためになるとかいう発想をしてもらうにはどうしたらいいか?
「宿題が与えられた、半分解いた、半分はできなかった、とりあえず答えを赤ペンで写した、提出した」
という考え方で受動的に取り組んでいる高校生に
「自分が必要な勉強は何か、それを一日どれくらいの分量進めるか」ということが考えられるようになり、そのうえ「1周終わったら2周、3周取り組んでいくと、1周目では見逃していた事実を発見できるようになる」と実感できるようになり、能動的な姿勢を保ち続けられるようになるには、どうしたらいいか?
これは難題です。