月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

公式の秩序と土着の秩序

一般教養で「国際開発学」(日下先生)を受講していまして、先生はフィリピンのスラムで1年間暮らしたフィールドワークの経験があります。国際開発というと、発展途上国支援という意味で使われることが多いですがこの講義では、豊かさとは何か見直そうという意味であるようです。

初回の授業は自己紹介で先生の大学時代の話から現在までの過程の紹介だったのですがそのなかで「公式の秩序と土着の秩序」というキーワードがありました。

公式の秩序とは、政府や会社、教育などの枠組みのなかで働く他者との関係のこと、少し抽象的にいうとトップダウンでの秩序のことで、土着の秩序というのはおそらく平たく言えば他者との信頼関係のことです。ピラミッド型組織と蜘蛛の巣型の違いにも近いのかもしれません。

国家が発達するにつれ公式の秩序が大きくなり、今の日本では公式の秩序が大きすぎるのではないか、もっとバランスをとるべきではないか、ということをおっしゃっていました。

これはその通りで、公式の秩序は過去に日本が経済成長してきたように高い効率性を実現します。一方で公式の秩序は個人の趣味や考えを無視して全体を優先するという考えなので、今の時代とはズレが生じています。平成の後半から令和にかけては「ありのままの世代」と私は勝手に呼んでいますが、みなさん自分を大事にしようとする傾向にあります。すると公式の秩序にたいしては日下先生のいうように「息苦しさ」が生じます。

しかし、だからといって土着の秩序を大規模に展開していくのは無理があります。土着の秩序というのは全体としての明文化されたルールではなくお互いの信頼関係に頼るものです。

たとえば塾では土着の秩序として「飲食可」としており自習室でも授業中でも飲食したければできるのですが、飲食可としても塾でたこ焼きパーティをする生徒はいないだろうという信頼をしているからこそできることです。でもこれを一つの校舎に数百人もいる河合塾で実現するのは難しいでしょう。

私の塾みたいな小規模のコミュニティで土着の秩序を実現するのは比較的容易なことだと思いますが、もっと大きな組織や国家規模で実現するのはGHQが設置されない限り無理でしょう。いや、GHQ設置されてしまったら思いっきり公式の秩序か・・・。

大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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