月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

歴史を学んだら、やるべきことが見つかった(中編) - 強右衛門から導いた私の取り組むべき課題

前編から続きます

強右衛門の話を知って、実際に長篠城に訪れて思ったこと、それは「なぜ強右衛門は偉業を成し遂げることが出来たのか?彼のメンタルはどうなっていたのか?強右衛門のように強い意志で取り組める仕事にどう出会えるのか?」ということでした。

強右衛門のメンタル

この時代の仕事はもちろん、戦に勝って土地を得てコメを得て生活する、というように生活にかかっていた要素はあると思うのですが、現代の仕事と完全に異なるのは、「失敗したら死ぬ」ということです。強右衛門は飛び込んだ川ですぐに殺されるリスクがありましたし、そうでなくとも合戦をすれば殺し殺されるわけです。よく「死ぬ気で頑張れ!死なないから!」という人が居ますが、これは意味の無い言葉です。死ぬリスクがないのに死ぬ気で頑張れるわけがありません。では、どうすれば強右衛門が持った「死ぬ覚悟」と同じような使命感を持つことができるのか?この「死ぬ覚悟」というのが、次のキーワードになりました。

2パターンで考えます。

(1)死ぬ覚悟を持てたのは、自分のためか?

強右衛門の行動は自分のためだったのでしょうか?もちろん、仕事が成功して、その後に長篠城が持ちこたえることができれば強右衛門はスーパーヒーローです。一方、仕事が失敗して死んでしまった場合はどうでしょうか。残された妻や子供は悲しいですが、一応、「強右衛門は頑張ってくれたよ」といって語り継がれる可能性はあります。しかし、どちらもしっくりきません。

(2)他者のためか?

自分以外の誰かのために頑張りたい、そう考えていた可能性もあります。この時代は、とても主従関係の結びつきが強く、とくに男色や義兄弟の契りというような、男同士の心のつながりがとても濃いように感じます。このときの強右衛門のBOSSにあたる奥平貞昌は当時22歳でしたから、36歳の強右衛門が強烈に忠誠心を持っていたかはわかりませんが、1週間にわたる籠城戦で仲間どうし横のつながりの結束力は少なくとも高まっていたことが想像出来ます。「戦いが終わったら一杯やろーぜ」くらいの会話はしていたかもしれません。

守る方が精神的にはダメージが強そうですから、この疲弊から仲間を解放してやりたい、俺がやってやる!くらいの強い意志があったのだと思います。つまり、強右衛門には強力な大義名分があったということです。強右衛門に限らず、この時代の戦にはすべて大義名分がありますし、各武士は殿様に対する忠誠心=大義名分を持っていました。殿様たちはどうだったかというと、信長や秀吉は「天下統一して俺が偉いことを示したいぜ!」のようなエネルギーを感じることがありますが、家康はどちらかというと「もう戦はやめて平和な世の中にしたい・・・」という大義を持っていたように感じます。

BOSSのために仲間のために死んでもいいという価値観を理解することは難しいですが、偉業を成し遂げた、成し遂げられなかった人も含めて、強い大義名分を持っていたからこそ命がけの仕事が出来たのでしょう。また、その大義名分の多くは、BOSSや仲間の抱えている問題を解決したいというもので、家康クラスになってくると、「世の中を平和にしたい」というレベルの大きい問題意識だったのです。

ということで、大義名分=解決したい問題があれば自分が突き動かされるようにして働けるのでは、というところにたどりつきました。一見当たり前の話ですし、おそらく私も28年間生きてきて20回くらいはこのような意味の文章をどこかで読んだはずですが、ようやく自分のロジックで理解することが出来ました。室町時代の「死ぬ気で頑張る」を現代語訳すると「自分が本当に解決したい問題に取り組む」という訳し方になるのです。

自分が解決したい問題=自分の大義名分は?

イシューが見えたので(参考:イシューからはじめよ、次は自分が解決したい問題って何だっけ?サラリーマン時代は会社の予算をブレークダウンした個人の予算を達成することが解決すべき問題だったけど、辞めちゃったしな〜、と考え始めました。

すぐに思いついたのは、貧困問題です。私は大学時代から貧困問題に興味があって、卒論もアマルティア・センの「貧困と飢饉 」や「不平等の再検討 」を中心にして書きました。貧困とは、所得が低いということではなくて、彼/彼女らのとることができる選択肢の少なさである、ざっくり言うとこんな話です。

もちろん、私がアジアやアフリカの貧困問題をどうこう出来るわけではないですから、日本国内で誰かの選択肢を広げることが出来ないか?という視点で考えることになります。それには、ある程度自分が達者になっている分野ではなければなりませんから、ではその分野とは何か考えると、次に思いついたのは「知的欲求の格差」の問題です。

何が問題の格差か?

今、日本は格差格差言われてますが、資本主義で日本が動いている以上、経済格差は絶対に広がります。ですから経済格差自体は問題ではなくて、必然的な結果なわけです。しかし、経済格差をもたらす要因として「知的欲求の格差」があればそれは解決すべき問題かもしれません。

知的欲求とは、平たく言えば興味・好奇心のことです。もちろん、興味だけあって何もしないというのは知的欲求が高いとは言えませんから、興味・好奇心が強くてその上自分でどんどん探求できる、その能力をさします。知的欲求の高い人たちはどんどん自己実現をして楽しくお金を稼いでいる一方で知的欲求の低い人たちは特に問題意識があるわけでもなく、なんとなくの流れで生きいく傾向にあります。もちろん、知的欲求などなくても結婚して子供が出来て・・・という生き方が幸せだという人も多いと思います。一方で、自分だけでなく周りの友人もみな知的欲求が高くて、切磋琢磨して世界を広げていくことができるというワクワク感は何にもかえがたいことも事実です。

知的欲求の性質は社会的遺伝

私は仮説として、この知的欲求というのは生物的な遺伝はしないものの、社会的な遺伝をするものだと考えています。持って生まれた才能ではないが、付き合う人 ー両親や友人、先生や職場の先輩などー によってとても影響されやすいという性質があり、知的欲求が低い社会しか知らない人が知的欲求を満たす楽しさを知ることは極めて困難であるということです。

そして、この格差はどんどん広がっていきます。これは確信があります。私は父が頑張って働いて昇進していく姿をみて、自分も頑張ろうと思えることがありましたが、たとえば父が会社でうまくいっていなくて荒んでしまっていたら、同じように頑張ろうと思っていたでしょうか?ひょっとしたら、「頑張っても報われないんだ」と思って自分も荒んでいってしまっていたかもしれません。日本経済の成長が鈍化すれば、会社の成長も鈍化し、さらに今ではアジアの成長が著しくなっているので、ますます日本の会社は昇進・昇給しづらくなっていきます。そうすればその閉塞感は、家庭に伝わっていきます。

ただ、私が感じているこの格差問題が、果たして社会的にも問題となっているのか、たまたま私だけがそう感じていて、余計なお世話なのではないか?ということについて、検討する余地がありました。そこで、「知的欲求の格差が、経済格差につながっている」というような論じ方をしている本がないかどうかと検索したところ、一発で出てきました。(歴史と違って、現代の問題なので図書館よりはAmazonが良いです)

それが希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く (ちくま文庫) です。

後編に続きます・・・

※ちなみに、長篠城訪問からここまででさらに2ヶ月を要しています。長篠城が8月7日、大義名分だと気づいたのが9月中旬、希望格差社会を買ったのが10月18日です。パッパッとロジックを進めていったのではなく、う〜んう〜んと考えてここまで至りました。