月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

模試の偏差値にふりまわされてはならない

今日も日本のどこかで、模試の偏差値に振り回されて悲しい決断をする人がいるかもしれないので、そういう人のためにアドバイスを書きたいと思います。

模試って偏差値が出ますよね。

偏差値というのはその模試を受けた人のなかでどれくらいの位置にいるのかを示した数字なので、進研なら進研、全統なら全統と同じ模試を受け続けると偏差値の上下によって学力の上下がある程度わかります。

なので偏差値の上下によって一喜一憂する人は少なくありません。

また、模試をつかって進路指導をするような学校においては、その結果によって志望校をどうするとか、文理をどうするとか、受験科目をどうするとか、色々意思決定の口を挟むところもあります。

しかし、注意したいのは偏差値が上がった→勉強が順調と判断はできないし、偏差値が下がった→勉強が順調ではない、とも言えないのです。

前者の良くあるパターンは英語です。英語は適当にしか読めていない生徒が多く、問題の英文がなんとなく読めた/読めないで偏差値の上下が激しい科目だと私は見ています。単語と文法を適当に勉強しただけで偏差値があがるわけがないのですが、模試でといた問題のいくつか適当に解いたものが正解になるだけで偏差値がプラスマイナス5くらいは普通に上下します。たいして勉強がしていないのに偏差値があがったとか、逆に下がったとかいう現象が多い科目です。

普段の学習状況と照らし合わせないと偏差値の上下の意味することは正確に見えません。

塾では生徒に模試結果を必ず提出するように伝えていますが、これは普段の学習状況が模試結果に反映されているかの確認をする程度の役割です。最近は高校3年生が河合マーク模試の結果を持ってきてくれていますが、英語は普段教えている実感値の通りの偏差値が出ています。教えている実感値より大きくプラス、大きくマイナスはどちらもありません。

ということで、模試をみて思うことは「これでよし」です。生徒によって、偏差値の上がった生徒もいれば横ばいの生徒もいますが、「これでよし」です。横ばいではダメなのでは?と思うかもしれませんが、横ばいでOKな生徒とダメな生徒があります。横ばいでOKなのは英語の勉強を開始して日が浅い生徒です。早いと2ヶ月で学力があがる生徒もいますが、たいてい半年〜1年は時間がかかります。

このように、普段の学習状況と模試結果をあわせて考えて、両者にズレがないかどうかという視点で見て下さい。

みんな模試結果だけしか見ないから、変なことになるんです。生徒本人が模試結果を見る場合には、「まあこんなもんだよね」とある程度実感できるはずです。勉強が進んでいなければ結果は出ないし、勉強が順調だと思えばプラスになっているはずです。もし勉強が順調なのにマイナスになっているようなことがあれば、他の受験生たちがそれ以上に頑張っているということになりますから、勉強内容を見直す必要があるかもしれません。

問題なのは、生徒本人が見るときではなく、親や先生に見せるときです。親や先生というのはしばしば悲観的にものごとを見る傾向にあります。E判定だから諦めろとか、偏差値が下がったから諦めろとか、そういう見方を良くします。

しかし、大切なのは偏差値の数字そのものではなく、普段の学習状況と比較した差分にあるのですから、模試結果をみて文句を言うのなら普段の学習状況と合わせて文句を言わなければいけません。しかし、親も先生も生徒の学習状況など分かっていないしそもそも知りもしません。ですから、模試結果をみて何らかの意思決定をするのは見えない敵と戦っているのと同じというか、被害妄想で「きゃーあの人痴漢です怖ーい!」といって10m先にいる人を指さして怖がるのと同じというか、なんて言ったらいいんですかね?ナンセンスなんです。

それで10m先にいる人を見てみたら、たしかに痴漢しそうな雰囲気をしていて濡れ衣を着せられて、えん罪で実刑判決みたいな。

「この模試の結果が悪い!おまえちゃんと勉強してないだろ!色々考え直せ!」

と、すごく似ていると思いませんか?

きっと今日も日本のどこかで不安な高校生、不安な保護者、不安な先生は模試の結果をみて見えない敵と戦っているのでしょう。目をちゃんと開けば、敵なんてどこにも居ないとわかるのに・・・ 

清須市の大学受験 相伝学舎
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