月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

やらされる勉強に価値無し。自分の頭を使え。

今日、中学生の面談があり「なぜ近辺の高校ではなく名古屋市内の3校を指定しているのか」というご質問がありました。

たぶん何度かブログに書いていると思いますがあらためて書きます。

 

私は「人にやらされること」で受験の結果を出すことに意味を感じていません。その後の人生で成功の再現性があるか疑わしいからです。

私は「難関大学に行け!」とブログに書いているし、思っているし、生徒につたえていますが大学に行くことは生徒の人生の成功の手段であって目的ではありません。大学に進学したからその後の人生が約束されているわけではないのです。進学して、その恵まれた環境でどういう経験をしていけるかが大切です。

受験には「勝てば官軍」な側面がありますが、受かればなんでもよいというわけではありません。

ではどのように勝てばよいのか、それは「目標をたて、自分で計画を考え、実行し、改善し、結果を出す」というプロセスを経験して勝つことだというのが私の考えです。このプロセスを回す主役は、親でもなければ学校や塾でもなく生徒本人です。

最終的に志望校の合格通知を受け取ったときに「自分で考えて行動した結果が出た」と感じるか「与えられたものを実行して乗り切った」と感じるか。

80歳で死ぬとして、大学受験を終えた一人の人間に残された時間は62年あります。生まれてから18年間は先生と呼ばれる人や親が身近にいて、色々と教えてくれますが残り62年間の人生で先生が教えてくれることはほとんどありません。大学の教授は研究のアドバイスはしてくれますが手取り足取りおしえるようなことはないし、就職したら最初の研修期間を除けば「あとは自分で頑張って」です。自分ひとりで考えて行動することが求められるのが人生の大部分です。

その時に自分の人生を自分で運転できるかどうか。それは、「自分の力で、自分の考えで結果を出した」という体験があるかどうかに影響されます。

教えにしたがって合格した場合には、その後の人生で何かチャレンジするときに再び良い教えが必要になるでしょう。しかし、自分の考えによって結果を出せたのなら、その後の人生で必要なのは自分の脳みそだけです。自分の脳みそは24時間365日、死ぬまでずっと一緒にいてくれる唯一の相棒です。

自分の考えで行動し結果をだすためには空白の時間が必要です。与えられることが多い時間ばかりすごしていたら自分で考え始める機会が失われてしまうし、かりに考え始められたとしても実行する時間がありません。第三者に設定された宿題や課題で忙しい高校生活よりも、良くも悪くも学校に放置される高校生活によって、人は考え始めるのだと私は考えています。

自分で考えて行動してA大学に不合格することと、行動させられてA大学に合格することでは、前者のほうに私は価値を感じます。

ズートピアのTry Everythingは良い詞ですが人生でTry Everythingしている人は少数派です。10年後、20年後に日本がどういう状況になっていても、自分の脳みそを頼りに何でもチャレンジできる人間になってほしいと思い、塾をやっています。

 

自分の頭をつかって合格を勝ち取った生徒の話はこちら

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清須市の大学受験 相伝学舎
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