月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

学力の裏に良好な家族関係あり


こんな記事がありました。少しだけ引用します。

健全な子どもほど、実は家で「ガス抜き」をしているのです。子どもは本来自由で制約のない存在なのだから、ルールの多い社会では「不自然」の状態を求められることになります。誤解を怖れないで言えば、教育とは「自然のままにしておかない」ことです。教育の効果がよく現れる子どもほど矯正されるわけですから、より多くの負荷がかかります。その分、回復が絶対に必要です。

 

その回復の場が、家庭です。親には回復させる重要な役割があるのです。だから、当然(と言っては申し訳ないが)子どもが親の言うことを聞かない事態も起きます。これも、文字通り「家庭」が「安心のホームベース」という証拠です。

高校受験でも大学受験でも、受験生というのは「合格できるだろうか」という点で多かれ少なかれ心に負荷がかかっている状態です。とすれば、家庭でも優等生であることを過度に求めるよりはその負荷を開放できるような空間にしたほうが、心の疲れがとれて翌日も頑張れるというサイクルは、たしかにありえそうだと思います。

私は「頭がいい」というタイプではないと思いますが、家での様子は「勉強は出来なくていいから普通のことができる人になってほしかった」と成人後に母から言われる程度でした。

さて、私の塾にいる高校生は中学時代に学年でトップクラスだった生徒が多いのですが、みな家族の関係が極めて良いように見えます。家族旅行に行くとか行ったとかいう話をしばしば生徒から聞きますし、多くの生徒は親を尊敬する気持ちを持っています。生徒が種だとすれば、家庭というのは種が埋まっている土みたいなもので、すくすく育つ種のもとに栄養の富む土あり、という感じです。

これは親が勉強のことに口を出すということではなくて、勉強が出来ても出来なくてもあなたのことを愛している、と親が子にたいして思っているかどうかです。勉強の結果を求めるということは種からやっと出てきた新芽を無理矢理引っ張るようなもので、生徒の許容範囲を超えた時点でポキッと折れてしまいます。

勉強というのは努力した時間と結果が綺麗に比例するのではなく、努力がある一定量を超えた時点で結果が出てくるタイムラグのある競技ですが、そのタイムラグを乗り越えなければいけないのは生徒だけでなく親でもあります。ただしこれは子の成績に興味を持ってしまう親に向けてのメッセージであり、本来は親は自分の興味あることに情熱を注いでいて、子は勝手に頑張れくらいの距離感が一番だと思います。かといって、教育に完全に興味無しというのは行き過ぎだと思うので、適度なさじ加減が必要ではあるのですが。

 

今日の一句

成績を 気にする前に 愛情を

そそぎ自分は 背中をみせよ

ドドンッ

f:id:sodeng:20160719132211j:plain Photo by (c)Tomo.Yun

清須市の大学受験 相伝学舎
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