月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

学歴が必要?

大学卒業時の就職活動において学歴の高い順に、給料のよくて刺激的な仕事を得られる傾向にあるのは間違い無いと感じます。だからといって高学歴といわれる大学を目指すべきかというと、そういう時代でもありません。

日本は私たちの親、その親の世代のがんばりによってありがたいことに先進国になりました。国民の所得も世界の国々のなかでもそうとう高い方です。労働者からみる所得は、経営者からみる賃金です。所得=賃金が高くなってしまった国でモノをつくるよりは、まだ賃金の低い国でモノをつくったほうが安上がりになります。イギリス→日本→中国→タイ→ベトナム、のような流れで製造業の拠点は移っていっています。賃金が高くなった国から仕事がうつっていくということです。

人口が増えていく期待もないので、人口の自然増による経済成長も期待できません。とするとカラダだけ大きくなった大企業は、いまあるピラミッド構造を維持できなくなります。社長1人、部長5人、課長20人、平社員100人の組織があるとして、平社員100人のうち50人に課長職までの出世コースを用意しようと思ったら、50個の課が必要です。20個の課を50個に増やすには、それだけ仕事がなければ成り立ちません。

しかし経済が成長しないのだから仕事が増えるはずがありません。出世しなければ昇給も望めませんから、入社時に期待していたほど所得が高くならなかった、というケースが増えてくるし、所得が高くならないくらいならまだマシで、ある日突然閑職へ異動させられてお先真っ暗、というシナリオも十分ありまえます。

一般的には大企業=安心、というイメージがありますが私はそうは思いません。給料の良い大企業への就職にたいして疑問があるので、大企業への就職切符としての学歴にもそこまで価値があるのか疑問です。

それでも、高校生が大学受験をするなら少しでも偏差値の高い大学を目指すべきであると思います。

私は一つの大学にしか通った経験がありませんが、大学で出会える友人の質には、大学ごとに大きな差があるであろうことは想像に難くありません。個人の時代において、誰とつきあえるかは大きな問題です。個人でなんでも出来るといっても、自分一人でやるのか友人も道は違えど一緒に頑張っているのかでだいぶ変わります。その後の人生で刺激をあたえてくれる質のよい友人に出会うために、偏差値の高い大学に進学すべきだと考えています。

大学時代の友人の活躍をみていると、自分も負けられないという気持ちになるし、同期世代だけでなく先輩の活躍をみれば、同じ空気をすっていたのだから自分も出来ないことはないだろうという気持ちになります。

目標があってそれを成し遂げられるかられないかの差は、大部分気持ちの差だと思っています。出来ると思えばできるし、ビビったらそこでおしまいです。

そういう見えない天井がなくなるのが、難関大学に進学する一番のメリットです。

もちろん難関大学ではなくてもそういう刺激的な人が存在しないわけではないのですが、どうやって出会えるのか私はわかりません。たぶん、さっさと起業して自分の経験値を高めて付き合う人を変えていくというルートになると思いますが、17年間学歴競争のレールにのってきた進学校の高校生にたいしてはおすすめできません。

また、入学試験の難易度が同じでも地方か都市かなら断然都市部にいくべきです。「地元でいいや」という保守的な人たちのあつまりで過ごすか、「都市部にいきたい」という人たちのあつまりで過ごすか、という違いです。愛知県の人は地方でもコッコウリツが良いという価値観ですが、私は逆で私立でも都市部の大学が良いと思っています。

というわけで、旧来の意味で学歴は不要ですが、個人の時代において良い大学にいって良い友人をつくることには価値があります。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp