月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

ノロウイルスは、きつかった・・・

最近、ノロウイルスが迷惑なことに大流行中らしく、気をつけなければいけませんね。自衛隊基地で350人が感染の疑い、というニュースの裏側にある、350人全員に行き渡らないトイレを思うと、腹痛の苦しみ以上の苦しみがあるのではないかと、大変痛ましい気持ちになります。

昨日の会社員時代の話ついでに、私のノロウイルス体験の話を書いてみます。

営業の仕事の一つとして「今期はこういう計画で活動します」というアクションプランを一人一人作ることが会社では求められていたのですが、作るだけではなくて年度初め(前職は12月決算だったので1月から2月あたり)に営業部単位で発表会をするわけです。

だいたい一人30分くらいの持ち時間で、「私の予算(目標)は〇〇万円で、昨年からの手持ち案件が××万円あり、のこり△△万円は以下のようにして案件をつくります!」みたいなことを、パワポ資料で発表します。

名古屋営業所に私がいたときには、名古屋・大阪・福岡の3営業所で一つの営業部だったので、そのときは大阪営業所にみんなが集まって、2日間くらいかけて発表会がありました。

圧迫系の部長がいない限り、この手の発表会は雰囲気としてはゆるめなので、自分の発表が少々緊張することを除けば、楽しい2日間になります。ほとんどの人は、活動計画として思いつくありとあらゆることを盛り込んでいるので「みんな、何かを捨てて何かに集中するという発想は無いんだな」と、その時も平社員のくせに上から発表を見ていたわけですが、内容はどうであれ大阪営業所の人の発表は必ず笑いを盛り込んでくるので本当に面白かったです。大阪の人はすごいな、と尊敬していました。

で、それは突然でした。15時頃でしょうか、発表を聞いているときにいきなりお腹が痛くなり、ビルのトイレに駆け込んだところ、それまで二十数年の腹痛とは様子がまったく違い、痛みが尋常ではないし冬なのに汗が出てくるし、だんだんと意識が遠のいていく気がしたのです。

一応手元には携帯があったので、痛みを上司に訴えるべく連絡をするべきかと思ったのですが、「上司は上司であってお父さんではない、自分と戦え木村!」となんとか自分を鼓舞しつつも、目の前が白くなっていきとうとうトイレの個室にて倒れ込んでしまいました。

「これは死ぬかも・・・昼食のエビフライか?なんか臭かったもんなぁ・・・」と、振り返えればたかがノロウイルスだったのですが、意識が遠のくなか考えていました。

時間にしたら10秒や20秒くらいだったと思いますが、一瞬意識が飛んでしまっていて、意識を取り戻したあとはピークを越えていました。

その後腹痛を上司に報告し、早退させてもらうことにして、名古屋の自宅を目指すという大きな仕事にとりかかることになります。まずはたまっていたEX-ICのポイントで新大阪から名古屋はグリーン車を購入し、静寂を確保することにしました。悶絶するにしても周囲に人がいると余計な苦痛を味わうと判断したからです。

ビルから新大阪駅までのチャレンジを乗り越えて、グリーン車に乗ったところで幸運なことに私のお腹は落ち着きを取り戻し、名古屋駅まで小一時間睡眠することができました。あやうく乗り過ごすところだったのですがさすがグリーン車、検札で行き先を確認していたグリーンパーサーのかたが起こしてくださいました。

当時は千種区の覚王山に住んでいまして、名古屋駅からは普通なら東山線で帰るところえすが文字通り背に腹は替えられないと思い、タクシーで帰宅し、まずは自分の家でたった一人ではあるものの、痛くなったらトイレがすぐそこにあるということに安堵の胸をなでおろしたのです。

お腹の痛みは変わらなくても、何不自由なく苦しめる自宅にいるのと、絶えずトイレとの距離感に悩まされなければならない外にいるのとでは、意味が違います。

翌日病院にいって薬を処方してもらって快方に向かいましたが、あのときの痛みはたぶん人生で最もつらいものでした。

清須市の大学受験 相伝学舎
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