月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

ぬるま湯にひたってちゃダメよ

高速で片道1時間かけて西尾市から私の塾に通学してくれている生徒がいまして、あるとき「うちの塾はJRの清洲駅がそこそこ近いけど、電車じゃダメなん?」という質問をしたら「電車だと移動中に勉強できません」という返事で「そ、それはそうだね」と私がたじろぐという場面がありました。

寸暇を惜しんで勉強をする、とは彼のことで高1から全ての時間を勉強に注ぎ込んでいます。

目標は東京大学、というわけではありませんが東大の理1と同じくらいの難易度の某大学某学部を志望しており、彼をみていて思うのは、「世の中には私の知らない、とんでもなく勉強するやつがいるものだ」ということです。

私なんて何度かブログ上で告白している通り、高2の途中まで大学受験という観点でいえばゴミ以下の生活をしており、高2から猛勉強を開始したわけですが、この辺の高校生10人つかまえれば1人は同じようなことをしているでしょうから、珍しくもなんともありません。

では私の塾の生徒はどうかというと、少なくとも私の高校時代よりは頑張っているわけですが、塾生の多数を占める五条・西春・一宮西の生徒の頑張り具合というのは、まあ私の想像できる範囲なんです。

しかし、高速1時間の彼はレベルが違います。私の想像できないレベルでやっています。

ということは、世の中にはさらにレベルの違う高校生もいるはずです。

で、表題の件になるわけですが、田舎の公立高校生にとって敵は見えないところにいます。つまり、公立高校じゃなくて私立高校です。ブログ読者のみなさんからすれば私立なんて公立の本命を受ける前の滑り止めくらいにしか思っていないでしょうし、私も高校時代には同じように思っていましたが、大学受験で圧倒的な存在感があるのはどう考えても私立です。私の慶應大学の友達も適当にカウントして7割以上が私立出身で、公立それも地方の公立高校出身者なんて全然いません。でも私からしたら、高校までの世界は逆に7割以上が公立で3割の私立なんて前述のとおり滑り止めのヘボ高校というイメージしかなかったわけです。

ここに公立高校生にとってみえないギャップがあるんです。

たしかに五条・西春・一宮西そして一宮高校などの公立高校の学生達は勉強熱心に頑張っていますが、その「熱心さ」のレベルはあくまで公立高校という世界においての熱心さであり、見えない敵たちからみてその熱心さというのがどの程度のレベルなのかは、判断がつきません。

私はたとえば東海高校や南山女子高校の生徒達がどんなレベルで、どのくらい頑張っているのかを知りませんから想像するしかないのですが、たぶん頭の良さも勉強量、そして勉強の質についてもレベルが違うはずです。高校卒業までに勉強に費やすお金のケタも違うことでしょう。そうでなければ、合格実績で圧倒的な差をつけられる原因が考えられません。

私なんかはこうやって想像すると「恐ろしいなあ、そういうやつらとうちの生徒を競わせていい勝負をさせなければいけないのだから、相当授業を工夫しないといけないな」と思うわけですが、普通の高校生にとっては想像する機会もないでしょうから、受験が終わってみて気づかない間にやられた、という結果になることでしょう。おまえはもう死んでいる、状態です。

敵を想像することなしに公立高校の基準で3年間頑張るということは、知らぬが仏という観点でみれば悪いことではないのかもしれません。

しかし、仮に名古屋大学や大阪大学、東工大、早慶など難関といわれる大学を目指すのであれば、公立高校の基準で頑張るというのは愚の骨頂、ひらたく言えばアホであり、まずは同じ受験仲間をみて安心するのではなく実際に合格の席をぶんどる敵はどういうやつなのかを想像して自分の生活にパラダイムシフトをおこすことが第一歩です。

私の塾では、冒頭の生徒のようにすでに異世界で頑張っている生徒もいれば、公立高校の基準から抜け出せていないのんびりしている生徒もいます。私がこういう話をしても、よほど自分で「これじゃダメだ」と思わないかぎり価値観は変わりません。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp