月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

自由民権運動がまだ起こってない社会

小学校教員が同じ教員を「いじめ」ていたという事件ですが、目にカレーをこすりつけられるとか、車のルーフにのるとか、一般の人がやったら民事か刑事かわかりませんが何らかの争いごとになると思います。

これは小学生どうしとか、中学生どうしの「いじめ」でも同じで、一般の人がやったら犯罪になることが「いじめ」という枠に当てはめられることが普通です。

 

headlines.yahoo.co.jp

こちらの記事の加害者のコメントを読むと「悪いことしてごめんなさい」くらいの軽いノリに感じられます。問題を「いじめ」と矮小化していいのか?

 

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学校という空間は極めて閉鎖的で、しかもそこが治外法権のようになっているのが現状です。

私が普段接している高校生達についても、

・模試は全員強制参加(そしてお金は生徒側が払う)

・補習は全員強制参加(そしてお金は生徒側が払う)

という、やはり治外法権のようなことが日常的に起きていて、しかもほとんどの生徒にとってそれが普通に捉えられているせいで、(当塾の一部の生徒のように)補習に参加せず自分で勉強したいという生徒が本来自由に参加・不参加を選択できるはずが、一筋縄にはできません。

五条高校などで高3の4月に提出させられる「補習に参加します」という申込用紙が、申し込みをすることを前提としていることは私には気持ち悪さすら感じられるのですが、先生はそれをあたかも当然のことのようにして処理しようとするし、生徒もまさか補習に欠席できるなど夢にも思っていないのでパブロフの犬状態で参加の提出をします。すると「欠席する」ということが逆にありえない状態になり、先生も同級生も「えっお前大丈夫なの?!」みたいな反応になります。

召集令状きたけど死にたくないから行きませんといったら、「非国民が!」と言われるようなものです。

終戦と自由民権運動がまだ起こってない社会があるのです。

 

公立高校は本当に不思議なところです。

中学生とその保護者のみなさん、名古屋市内のまともなところにいくのをおすすめします。もう終戦してますから召集令状がくることもないし、ちゃんと人権もありますよ。


大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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