社会と学校の仕組みの大きな違いとして、
学校はみんなと同じことが求められる
社会はみんなと違うことが求められる
というものがあります。
たとえば喫茶店をこれから開くとして、愛知県によくあるように「午前10時まではモーニングにつき飲み物を頼むとトーストがついてくる」みたいなことをしても、そんなお店はいくらでもあるので一杯500円くらいの普通の値段をつけて、なるべく地域の人に来てもらえるように愛想良くやっていくということをするほかなく、そうなると自分の店を選んでくれる人がどれくらい確保できるかわかりません。
しかし思い切って「コッコウリツカフェ」とかいって、なんとしても子供を国公立大学に進学させたい、そのためには五条か西春に子供をいれなければ!と考えている人のたまり場になるように色々施策をうってみたら、ちょっと目立ちそうです。
あんまりウケる気はしませんが、ただ朝くつろげるだけのカフェなんていくらでもあるので、こういう斬新な切り口をしたサービスがあると今までとは違う価値を社会に提供できることになるし希少価値があるので少し強気に値段設定できます。
世の中に価値提供しようとすると、今までとは「違う」切り口でサービスを作っていかなければいけないのですが、他人と「違う」ことを奨励されるどころか制限されることのほうが多い環境で小中高と過ごすので、人はあまり世の中に求められにくいものへ教育されているという見方をすることができます。
富国強兵の時代とは違うので、どうしても教育制度と現代社会にズレが生じてしまいます。