甲子園の解説中にマネージャーからの手紙なるものが読み上げられ20文字くらいで要約すると「多くの人の協力があってここまでこれた」みたいなことを言っていました。
ベンチにすら入れない人も、そもそも最初から最後まで脇役が確定のマネージャーも、100人の部員全員が試合にでるたった9人のために協力した
ということになります。もちろん100人の部員のうち半分以上を占めるであろう1・2年生は来年そして再来年の自分のためにやっているのだとしても、絶対に試合に出られない3年生はなんらかの形で試合にでるたった9人のために協力したということ?
試合に出られないのが分かっている人はそれを分かっていながらチームに貢献するためだけに在籍していたということなんでしょうか。
そのような献身的な活動を経て甲子園で勝ち進んだとして自分がチームに寄与できたと思うんでしょうか?もちろんゲーム自体は9人のエリート達の卓越した技量と相手チームのミスなどの運要素によって勝敗の大部分が決定され、その中で選手達の技量の5%くらいがチームメイトとの練習の産物で、5%くらいが当日の応援の産物だと計算しても、それら10%を試合に出場できなかった数十人で割ると自分の寄与度が低すぎることに気づいて萎えたりしないんでしょうか。
ますますわからなくなりました。
でもきっと私には分からない何か良いことがあるんだと思います。そういうエネルギーの使い方ができることはうらやましくもあります。