月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

トイストーリー3

トイストーリー3を見ました。大人にグサグサ刺さる第一作、ちょっと軽くなった第二作に続けて第三作目は

・アンディ(おもちゃの持ち主)が大学生になり家から出ることになった

・すでにウッディ達おもちゃはほとんど遊ばれなくなっており、中には捨てられてしまったおもちゃもいる。

・アンディの引っ越しとともにウッディ達は整理されることに。

・偶然が重なりウッディ達は近所の幼稚園に引き取られることになる。

・幼稚園では他のおもちゃが幼稚園児達に楽しく遊ばれていた。

そしてどうなるか・・・

 

ラスト10分まではどんでん返しの続く起伏の激しい話でした。その中で、おもちゃ達は「何が幸せか」というテーマをつきつけられます。最後にウッディ達が獲得した幸せの形とは。とにかく最後10分は泣けました。第一作ほどではないものの、「人生って何だろう」という大人にとっても楽しめる映画でした。

 

以下ネタバレ含む感想です。

持ち主であるアンディは最初おもちゃ達を屋根裏部屋にしまおうとしますが、偶然が重なっておもちゃ達は幼稚園に寄贈されてしまいます。その幼稚園はロッソという熊のぬいぐるみが支配する監獄のような場所で、幼稚園児たちのおもちゃの扱いはひどく、おもちゃ達は脱走を試みます。

なんとか脱走を成功させたあと、ウッディ達は元通り屋根裏部屋にしまわれそうになりましたが、ウッディの機転により屋根裏部屋ではなく近所の幼児の家に寄贈されることになります。

アンディはおもちゃを贈るときに「このおもちゃは○○でね・・」「このおもちゃは××でね・・・」といってそれぞれの設定を幼児に伝えて、おもちゃ達はアンディの時と同じようにその幼児に楽しく遊ばれる人生を歩むことになりました。

すでに大きくなっていたアンディに使われなくなっていたおもちゃ達が久しぶりに遊ばれるシーンでは、人間の声が小さく描写されており、おもちゃ達が幸せな瞬間を過ごしているように感じられます。

おもちゃは自分自身で楽しく過ごすことができず、持ち主がいて持ち主が遊んでくれることによって初めて楽しく過ごすことができる、という設定でこの映画は作られています。客観的に見るとその事実は「おもちゃの限界だな」と感じさせるのですが、最後人間の声が小さくなるシーンで、実は人間も自分自身では幸せを感じられず、誰かとの関わり合いのなかで幸せを感じる生き物だということに気づかされます。

たとえば私は1才の長男が一升餅を背負う姿をみて、「父として」人生の幸せを感じます。一方で三十数年前に記憶を遡れば「子として」木村家で愛情を受けて育ったことを思い返します。また現在は、「先生として」塾の生徒達の受験勉強をサポートする中で、人の役に立っている幸せを感じます。

トイストーリーの面白さは「おもちゃ視点」の話でありながら、実はそれが「人間視点」になっている点にあるように思います。

 
大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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