自然はあらゆることが物理的な法則で説明される一方、人間の気持ちに関しては統一的な原因・結果がないように思います。
私は会社員時代に営業職をそれなりに楽しんでいましたが、今の塾の仕事と比べたら圧倒的に今の方が楽しいです。
勉強でいえば生物より化学、化学より物理が好きですし、高校受験を教えるより大学受験を教えた方が気持ちが乗ります。
もし人間がこのような楽しい気持ちとか情熱的な気持ちを持たなかったら?
きっと文明社会は形成されていなかったでしょう。
たとえば皆さんが今このblogを見ているスマホにしろパソコンにしろ、それが製品として作られる過程はいたって合理的です。工場で製造されて、出荷されて、消費者の手元に届きます。でもそれらの製品を初めて作った人は、「新しい製品をつくりたい」という熱い気持ちで開発にとりかかったはずです。
世の中にはiPhoneのような偉大な製品から私の塾のように特定の数十人にしか関係のない狭いサービスまで色々ありますが、そうやって人間の社会を彩るものは一人の人間が、何に興味をもって情熱をそそぐかという法則では説明のできない感情を持つからです。法則では説明ができないからこそ、他の動物と違って助け合って豊かな社会を作っていこうという営みをします。
興味深いのは、個人が何に興味をもつかは多様なのに、それぞれがやりたいことを実現して社会をよりよくしていこうと働くことはなんらかの法則に支配されたかのような一様な行動だということです。