当塾では、数学の授業で同じ問題を3回も4回も解かせることがありますし、英語では同じ参考書をやはり2回、3回もくり返して勉強させます。
理屈としては好きな映画を3回見るのと同じで、
1回目にはだいたいのあらすじを理解して
2回目、3回目でどんどん物語の細かな部分の意味や伏線を理解する
という目的があります。
そもそもその映画を理解する気持ちがなければ2回見ても3回見ても、「また同じ話かよ、犯人は○○で動機が××ってオチでしょ」としか思えませんが、知りたい気持ちがあれば「この時のセリフがあとあと効いてくるのか」とか「うわ、この画面にこんなものが映ってたの?!」という発見があるものです。
同じ映画を3回見させるか、4回見させるかは塾生の学力によりますし、入試までの残り時間にもよります。
塾の指導で何をどういう手順で進めるかの意図は質問されたら答えますが、一方で、質問する前に自分で考えてみてほしいです。
意味というのは発信する側の意図よりも、受け取る側の理解のほうが重いものです。
昨年、祖母の葬式への道で追突事故にあい病院に搬送され入院するかしないかのレベルの怪我をしたためそのまま葬式へは参列できないことがありました。
先月に実家に帰って、私の両親と祖母の墓参りをしてその時に初めて気づいたんですが、まだ祖母が亡くなった事実を自分のなかで消化できていませんでした。
葬式があれば親族で一緒に丸一日悲しい気持ちになって涙を流すことで、もう祖母がこの世にいない事実を理解できていたはずです。
子供の時にはあんまり分かっていませんでしたが、葬式とは故人のためにやるものではなく残された人にとって意味があるものです。
まさか墓の前で両親や妻がいるなか自分一人だけしくしく泣き出すわけにもいかないし。未だに祖母の死を消化できていません。
話を戻すと、勉強も自分がどういう意味を見いだすかによって同じものでも意味が変わります。
同じ「ビジュアル英文解釈」という参考書を取り組むにしても、
・これをやると英語が読めるようになる
と思う人もいれば
・かなり文法に詳しくなれそう
と感じる人もいるでしょうし、
・I先生と生徒のかけあいで、結構大事なこと言ってる
と新たに発見する人もいるかもしれません。
意味を見いだそうという積極的な姿勢があれば、先生が生徒に参考書を与えるときの意図以上のことを得ることができます。
私は生徒に宿題を出すのがあんまり好きじゃないんですが、宿題となると同じチャート演習にしても
・宿題だから解く
という目的が生徒にとっての関心事になってしまってそれ以上の積極的な意味を持ちにくいからです。一番良いのは、チャートの問題を毎日解くことが入試に向けてどういう意味があるのか塾生側が勝手に意味を見いだして取り組むことです。これなら、同じ問題を解くにしても解くこと自体が目的になるのではなく、解いて理解することが目的になります。
旧帝や早慶など難関大を突破したい人には身についていてほしい姿勢です。
高校の偏差値が高くても大学受験でコケる人がいるのは、言われれば動けるが言われないと動けないから。高校の偏差値が低くても大学受験で受かる人がいるのは、言われるとやりたくないけど言われないと動けるからです。