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月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

家系ラーメンのコモディティー化

本当にどうでもいいこと
豚骨で麺が太い家系ラーメンですが、狭義の家系と家系とがありまして、狭義の家系とは横浜の吉村家(よしむらや)というラーメン屋さんとその弟子による暖簾分け的なラーメン屋さん(厚木家、環二家など)を指し、広義の家系とは味や見た目が本家に似ているものの暖簾分けではないレプリカのラーメン屋さんのことを指します。私が大学生のころにはすでにブームが過ぎ去ったくらいだったので、まあまあの歴史があります。
私は家系ラーメンが好きなので、大学生のときにはよく行っていたし、会社員になってからも新宿近辺の広義の家系ラーメン屋さんで昼食をとることがしばしばでした。
ここ数年で愛知県でも広義の家系ラーメン屋さんをよくみかけるようになり、かつては横浜周辺でしか食べられなかったラーメンが神奈川以外でも色々なところで食べられるようになったと思うのですが、今日行った広義の家系はハズレでした。
家系ラーメンというのは、けっこうな豚骨なので一口目はかなり美味しい一方で、二口目以降は満足度が一気に下がるという限界効用逓減の法則を思いっきり体現しているところがあります。食べ切ったらあとの胃の疲労は、焼肉のそれと似たものがあります。最初の一口目のために食べているといっても過言ではありません。
で、今日の家系なんですが一口目から様子がおかしい。そして、食べるほどに正直、マズイ。どうも豚骨ベースなのですが、魚介ダシも含まれているようでスープはこってりなのかあっさりなのなよくわからない状況です。しかしこちらはこってりを想像し期待しているので、そのギャップが不協和音のように口の中で響きます。そして半分食べるか食べないかでついにギブアップ。外食で残すことはほとんどないのですが、今日はダメでした。
この事件の背景を考えると、家系ラーメンのコモディティー化があると思うのです。登場したばかりのときはその商品の価値が際立っており、かつ競合がすくないことから絶対的な優位性を保っていられるものですが、やがて模倣品が増えるとその価値が薄まり、「普通」になることをコモディティー化といいます。
吉村家はたとえ家系ラーメンがコモディティー化しても、模倣しきれない美味しさがあるのですが広義の家系ラーメンは当然そのレベルまでもっていくことができません。かといって、中途半端な味では競争の激しいラーメン業界では生き残っていけないので、論点をずらすことで顧客に別の価値を訴求することになります。
で、今日はいったお店はどうしていたかというと、家系なのに魚介系の風味というのが一つと、もう一つはごはん食べ放題でした。大学が近くにあるので、大学生にはかなりの訴求力になるはずです。
コモディティー化することは消費者にとってはありがたいことでしかありません。価格が下がるし、選択肢が増えるからです。ただ、今回のお店はいかにも家系どストレートな風貌のラーメンだったので、ギャップを埋めることができませんでした。
で、教訓です。何か流行りのものを真似するとか、誰でもできることを売り物にするのは、避けたい。日々改善して、誰にも模倣できないようなサービスを作り進化し続けていきたい、そう感じました。