月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

2019年おわり

いや〜2019年もついに終了ですね。

今年も最高の一年でした。

2月に塾が燃えた時には「閉店」の2文字が本当によぎりましたし、片付けている間なんども心が折れそうになって妻に何度「もう辞めるわ」と弱音を吐いたかわかりませんが、なんとか復旧できたし、なんなら塾の売上も昨年を上回りました。

2-3月に集客活動が一切できなかったのですが4月の入塾は昨年とさほど変わらず(もはや集客なんて意味ないのでは)、その後も好調です。売上だけでなく高3の生徒達の学力も好調だということも付け加えておきます。

4月から授業方式を変更しましたが、マイナーチェンジを何回か経て形式として落ち着いてきました。この変更によって、対応できる生徒の学力の幅が広がりました。

来年は大きく変化させることなく改良の年になるでしょう。

6月から朝塾なるサービスを開始しました。朝塾がなかったら多分みなさん寝ていただけだと思うので、朝塾の分だけ地域の学力がアップしました。

それ以外にも、私生活で釣りを始めてみたり魚をさばいてみたりチャーシューを作ってみたり、充実していました。

QOL( Quolity of Life; 人生の質)は今年も最高記録です。

 

では、2019年12月31日夜22時をもちまして私は仕事納めです。

仕事初めは、2020年1月1日6時30分です。

よろしく!!!

 


大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
http://www.sodeng.jp

卒業生きたよ

昨日、東京学芸大に進学した生徒が帰省がてら塾に近況報告に来てくれました。

東京学芸大というのは教員養成系の大学で、このへんでいうと愛教大みたいなところです。

学芸大を志望したのは、東京の大学に進学するためであって、ものすごく強い志望理由があったわけではないのですが、実際に通ってみると授業がなかなか面白いらしくて、色々なことに興味が持てているようで良かったです。

結局大学なんていったら楽しいことなんていくらでもあるので、志望校なんてどんな理由で選んでもokってことです。

住めば都ならぬ、進めば都です。

実際授業の内容なども聞かせてもらいましたが、同和教育の授業で新大久保をフィールドワークするという激アツな授業があるらしく、確かに面白そうでした。

他にもサークル活動やアルバイトも充実しているようで、よかったです。

 

私には密かな野望がありまして、10年後くらいに当塾の卒業生達が各地で活躍しはじめて、 もとをたどればみんな愛知県のようわからん個人塾を卒業していた的なことになることです。ペイパルマフィアならぬ相伝学舎マフィアとでもいいましょうかね!

自習が一番大事だと気づけてゴリゴリ勉強できる生徒をたくさん集めて育成し続けたら、案外実現できる気がします。自習中心にするか、宿題に頼るかというのは生き方の選択みたいなもんですからね。

 

卒業生が塾に顔を見せにきてくれるのは毎度とても嬉しくて、家をでた子供が里帰りしてくる感覚がこんな感じなんだと思います。

残念ながらblogにのっけてみなさんに自慢するための写真をとってもらうのを忘れたので文字だけでお送りします。

 


大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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生徒がそうしたいと思ったものが正解

志望校を変えたいという相談を受けることがあります。

もちろん自分の気持ちにしたがって、自由に変更したらいいと思います。

変化するというのは現状を維持する何倍もエネルギーを要するものですから、変えたいと思うことはそれだけ自分の主観が育っているということです。

 

大学受験の戦い方というのはある程度(何通りか)の正解というものがあって、それから大きくそれないようにしてほしいと思いますが、志望校については正解がありません。

強いていえば、生徒がそうしたいと思ったものが正解です。

地方という特性上、コッコウリツにいくことが最高にいいみたいな空気があります。本当は自分が興味のない大学であっても周りの友人や教師がそういうからという理由で志望することがあります。

人間が社会的な生き物である以上、多少周囲の環境に影響されることはあるかもしれませんが、最終的な判断は自分で決めて下さい。

塾というのは、あくまで生徒の受験の手伝いをする場所です。

人生のゴールや方向性は、みなさんが自分で決めてください。

 

 

人生に正解なんてないんだなあ きむら

 


大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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考え方が変わっていく可能性

学校でやらされる勉強が正しいものだと疑わない生徒にたいして、参考書中心・自習中心の勉強生活を教えていくのはとても難しいというかたぶんこちらから働きかけて変化させていくのは不可能です。どこかで自分で気づかないと変わっていきません。その気づきのために、色々働きかけてみることになります。

その大きな機会の最初のものは、(これは最後でもあるのですが)、入塾してすぐのタイミングです。

塾に入るというのは多かれ少なかれ問題意識をもっていてそれをどうにかしたいと考えている。そこにたいして、こうするといいよということを教えて、短期間で目に見えやすい結果を出せるようガッと詰め込む。

それが成功体験になれば、こういうやり方で結果が出るのだと感じます。それによって、その後の考え方が変わっていく可能性があります。

 

これに失敗してしまったら、個人的にはお手上げ状態なので、考え方を変えていくなどという大きなことは考えずに、勉強を教えるという塾にもとめられる条件を満たし続けていくことになります。

生徒やその保護者のかたからは、別に考え方を変えてくれなどという注文はもらっていませんから、むしろ勉強を教えるということだけやっていればいいわけです。考え方が変われば結果が大きく変わっていくので個人的には見ていて面白いのですが、塾のサービスは結果にたいして対価をいただくものではありません。それが取り引きになっていない以上、余計なお世話とも言えます。

個人的に「そのやり方じゃあ、目標までいくのはキツイよなあ」と思えても、否定することなく淡々と勉強を教えていきます。

そのうち、木村のいうとおりかもしれないと思う生徒もいれば、やっぱり学校のやり方が正しいと思うと判断して退塾していく生徒も過去にいました。なんでうちの塾きた?と疑問がうかびましたが、長く塾をやっていれば今後も一定の割合で発生する、ただの確率の問題でしょう。

私は私のやり方が最も合理的だと思って塾をやっていますが、結局大学受験というのは生徒の人生のなかで繰り広げられるものですから、生徒が「違う」と思ったら私のやり方は生徒にとって非合理的ということになります。

でもそういう選択をするなら、それはそれでいいんです。

私は「この指とまれ」といってずっと人差し指を上げているだけで、指にとまる人もいれば離れて行く人もいます。


大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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教えるのは簡単だが発想を変えていくのは難しい

朝塾で、小学生にそれぞれが興味のある分野の問題集や、私から提案した問題集を解いてもらって自分で丸つけまでしてもらっているのですが、「おわりました」といって見せてもらった問題集を見ると、

 

解いた

間違えた

 

で終わっている問題が結構多かったりして、問題集を消化するという概念がまだインストールされていない状態だとそうなりますよね、というのをあらためて認識しています。

でもよくよく考えてみたら、問題集を一冊やり切るという経験は小学生のうちはそうおう多くないはずだし、学校では当然問題集の取り組み方など習わないだろうし、かくいう私も丁寧に手ほどきしたわけではないから、朝塾を通じて教えていくのが勤めだと思います。

問題を説明するのは容易なことです。これは小学生が相手でも、高校生が相手でも同様です。論理的に説明をすれば理解できるからです。

小学生に「リンゴが15個あります。そのうち2/3を食べたら、残りは何個でしょう?」という問題を解説するのも、高校生に「サイコロをn回ふるとき、1の目が偶数回でる確率はいくらか?」を解説するのも、私にとってはお刺身の上にタンポポをのせるくらい簡単で単調な仕事です。

一方で難しいのは、生徒の考え方を成熟させていくことです。

 

問題集にたいして、

「解いた、間違えた、理解していない、でも終わった」

という取り組み方をしている小学生に

「解いた、解説を読んだ、なんとか理解できた、もう一度自分で解いてみた、できた」

という取り組み方のほうが面白いとか、ためになるとかいう発想をしてもらうにはどうしたらいいか?

 

「宿題が与えられた、半分解いた、半分はできなかった、とりあえず答えを赤ペンで写した、提出した」

という考え方で受動的に取り組んでいる高校生に

「自分が必要な勉強は何か、それを一日どれくらいの分量進めるか」ということが考えられるようになり、そのうえ「1周終わったら2周、3周取り組んでいくと、1周目では見逃していた事実を発見できるようになる」と実感できるようになり、能動的な姿勢を保ち続けられるようになるには、どうしたらいいか?

 

これは難題です。


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