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月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

小さなことでも自分で判断せよ 1

塾では基本的には私が高校生までに受けた指導を再現します。私が受けていない指導のスタイルでは教えることができません。

私の所属していた高校はとにかく自由で、提出する宿題は高1の入学式直後に春休み課題を提出させられたくらい。補習や赤点対象の補講、追試もありませんでした。それでみんな合格したのかというと、入学時の学力からしたら悲惨な結果になります。勉強を強制させられない高校生活は楽しすぎてみんな勉強しなくなりますから、そんなもんです。「自由な校風で受験もうまくいってhappy!」なんて都合の良い話はありません。

それで私も高2の途中までは「高校生活って天国だ・・・」と思いながら軽音楽部長をしたり生徒会長したりして楽しんでいたわけですが、さすがにこれじゃまずいと思って塾に行きだして猛勉強生活に切り替えました。

通った塾では最初の2週間だけ宿題が出されたものの、その後は基本的に宿題・提出物・テストがなく、講義スタイルで授業が進んでいきました。大学時代にはそのまま塾講師として雇ってもらいましたが、その時も「キム、生徒はひたすら自然治癒させるんだよ」と言うのが教えでした。

というわけで、うちの塾でも入塾直後に一通りの勉強方法を教えたあとは放置のスタイルをとっています。

私、31才になって思うのは「判断の積み重ねがその後の人生を形成する」ということです。自分で判断する経験が多ければ多いほど良いと思っています。小さなことでも自分で判断して結果が出れば自信になるし、結果が出なければ「何が悪かったのだろう」という反省に至るからです。

これが自分の判断ではなく「ああしろこうしろ」と言われた結果であれば、自信にも反省にもつながりません。(たぶん。ブラック環境に属した経験がないのでたぶん。)

私はこの31年間でひたすら自分で判断しつづけていくつか大きい成功経験を持つことが出来たので、同じようにじっくり考えて判断して行動を積み重ねれば出来ないことがよほどないだろうと感じています。自信満々です。

私は判断の機会に恵まれました。放置されたからです。

放置されると自分で決めるしかないのです。高校時代には自由な校風から学校の先生がたは「木村、もっと勉強しろ!」などと言うはずがなく、ひたすら低い順位と低い学力で推移しつづけましたが放置されたからこそ「そろそろヤバい、まじめにやろう」という判断に至りました。中学時代も似たようなもので、両親が勉強についてほとんどノーコメントだったので「何も言われないけど、とりあえず頑張っておこう」と思って勉強していました。

塾でも同じです。自分でやることを決めないと学力が上がらないことがわかるので、自分で決めるしかない。

大学時代は言わずもがなだし、会社員時代にも放任主義の社風のある会社を選んだので営業職としてどういうお客さんをターゲットにどうやって営業活動するか自分で決めていました。

また、自分語りになってしまいました・・・

人間が判断するときというのは「判断せざるを得ないとき」だと私は思うのです。だから塾では「判断せざるを得ない状況」を作らなければいけないし、そのためには生徒を放置することが前提になります。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp