先日ある生徒に「第一志望の入試前日に自分が後悔しないようにしなさい」という話をしました。このことは、この生徒に限らず全ての受験生にとって大切だと考えています。
入試前日の夜、そして入試が終わったあとで「全てやりきった」と思えればその生徒の受験生生活は成功といえます。受験が成功するかどうかとは、別の話です。
そう思えるには、限られた受験生生活において自分が必要だと思う勉強を合格するのに必要だと思う時間だけやりきることが求められます。
つまり「第一志望の入試前日に自分が後悔しないようにしなさい」というのは、「何事も自分で判断しろ」ということです。
この地域の高校生は、普通に生活していたら自分で判断する機会を奪われ続ける生活をします。中学生は塾に奪われ、高校生は学校に奪われます。やるべき勉強を塾や高校が与え続けます。
この標準的生活で「やりきった」と思うのは、受験生であるあなたではなく、塾や高校です。とくに高校についていえばもう少し限定的な意味で、「(適当なコッコウリツ大学に生徒をぶち込むためのことを)やりきった」という意味になります。あなたの第一志望校に合格するためのことではないことに注意してください。
もちろん知識や経験のある、塾や高校が「やりきった」という指導に身を任せれば、自分で考えるよりも高い学力を得られる可能性はあります。無気力な学生に限れば間違い無く学力は上がるでしょう。
しかし、そういう指導による合否結果はどう解釈できるでしょうか。気持ちよく「自分がやりきった」と受験生本人が思えるかは、分かりません。
私は生徒に人生に介入しすぎる勇気はありませんし、そうしたいとも思いません。責任をとれないですからね。お金を頂いている以上、生徒にたいしてはこうすれば学力があがるという勉強内容や勉強量は根拠とともに明確に伝えていますが、それをやるかやらないかは最終的には生徒の判断に任せるほかありません。