月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

成熟した社会で生活すると本能が衰える

生物を勉強していると「どの生き物も生き残って種を残すことに一生懸命である」ということを実感しますし、場合によっては感動さえします。

たとえば植物は、裸子植物から被子植物に進化することで花や果実を得ました。花があれば昆虫が花粉を飛ばしてくれるし、果実があればそれを食べて動物が種を運んでくれます。

単純に甘い果実をつけるだけでなく、ナンテンという植物は実が苦いんだそうです。普通、甘く美味しくしてたくさん鳥に食べてもらって運ばれればいいのに、苦くすることで「少量」を「複数回」にわたって食べさせることで、より多くの鳥に運んでもらおうという狙いがあるようです。競争の本能です。

自然で生きる動物は、エサを取るために場合によっては命がけで狩りをしますよね。では、人間はどうでしょうか?

歴史以前ではそれこそマンモスをとったり鹿をとったりしていたのでしょうし、稲を栽培して食べていたのかもしれません。それをしないと生きることができないから。

しかし農業革命が起こって畜産が発達して、いまでは一次産業に従事している人は5%以下のようです。つまり食べ物を得るという本能的な仕事をせずに、生活することが出来る時代ということです。

私も塾で勉強を教えるというのは自然本能的な仕事ではありません。しかし、私が行っていることは本能的な行為だと認識しています。現代における本能とは、食料をとることではなく「お金を稼ぐこと」です。

人間は社会をつくって、その社会は資本主義というやりかたで成り立っています。これまで自然のルールの下で生きてきたのが、資本主義という人間が作ったルールでの生活に変わりました。そこでは、食料を取るという行為は貨幣という便利なツールのおかげで、「お金をかせぐ」という行為に変換されているのです。一人で暮らすなら手取りで20万円を稼ぐこと、家族を持つなら手取りで40〜50万円を稼ぐことが本能的な行為と考えることができます。

日本においては、みんなが低賃金で働き合うおかげで生活のコストはかなり小さくなっており、家さえあればそれこそ5万円もあれば食べるのには困らないどころか、結構楽しく暮らせます。それに気づいてしまうと「なーんだ、別に必死こいて働かなくてもいいじゃないか」と思ってしまうのも無理はないかもしれません。実際に、私の同年代やそれ以下の世代においては生きる希望が無い変わりに絶望もあんまり無いというのが実際のところではないでしょうか?

希望もなく絶望もなく、まあまあで生きていくという、本能が衰えきった人が多くなると社会はどうなるでしょうか。停滞するならまだいい方で、おそらくやる気満々な東南アジア諸国に抜かされていって、今私たちが物価の格差を利用してフィリピンやタイに遊びにいくような感覚で、「物価安いし日本にいこーぜ!」となる時代になっていくでしょう。実際、そんな傾向な気がします。

何もしないことというのは停滞じゃなくて後退なんです。たぶん、ゆであがったカエルである人たちにはそれが分からない。「楽しくね?ウェーイ!」とかいって刹那的に生きています。もちろん、人生楽しければいいじゃないかという意見もあると思いますし、それを否定するつもりはありませんが、ある日気づいたら貧困になってもいいんですか?と聞きたい。

とすると、成熟した日本においてほっておけば衰える本能を心臓マッサージするように、意識的に元気にさせる作業というのは結構大切です。これは塾をつくったコンセプトにもつながりますが、本能を大切にするというのは、好奇心を大切にするということに結構近いんです。

「なぜ雲は低くみえたり高くみえるものがあるのか?」「なぜ愛知県は車で生活する人が多いのか?」「なぜ中学生は内申点に縛られなければならないのか?」

など生きていると気になることはたくさんあります。小学校入学前ならもっと原始的な興味があるかもしれません。

そういった気になること=好奇心の種が心に芽生えた瞬間に行動出来るかできないかというのは本能を磨き上げる作業だと思います。

大人になって、何千年前の人が狩りをしたように今の人はお金稼ぎをしなければなりません。お金稼ぎというと良い印象を持たない人もいるかもしれませんが、お金を稼ぐというのは誰かの役に立たないと出来ないことですから、たくさんお金を稼げるというのはそれだけ社会の役に立っていると言うことです。だから私はたくさんお金を稼げるようになりたい。そのためにはサラリーマンではなくて独立。サラリーマンのお金を稼ぐと、開業した人のお金を稼ぐの意味は結構違います。もちろん後者のほうが本能的な行為だと判断したから開業したのです。

マクロな視点では日本はこれからのんびりしてられない状況です。世界経済というマクロな変動のもと、日本の会社員の平均所得は全体としては下がるでしょう(ごく一部のトップは高くなりますが、競争が激しすぎて私には無理と判断しました)。一方で、成熟した日本の社会ではニーズが多様化しているので、個人で働く分には結構チャンスが増えていっているのも事実です。

事実は一つだが、解釈は人の数だけある。フランクルによれば、どう解釈するかはいつの時代も人に残されている自由です。

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