月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

全体の流れのない時代だからこそ、自分で自分の方向性を決めなければならない

動きの速いIT業界で働いた経験から思うに、今の時代に必要なのは言われたことをやる能力ではなく、自分から動き出す能力です。日本では戦後から1990年ごろまで就労人口が急激に増え国内需要が伸び、相対的に安い賃金のおかげで輸出も好調で経済が一気に発展しました。これを人口ボーナスと言います。日本では繊維工業、ついで機械工業といった特定の産業が特に成長していましたが国内外の市場そのものが成長していますからどんな仕事でも、頑張るだけで生活は豊かになっていきました。言い換えれば、何に向かって頑張るかという方向性は考えなくても、仕事を頑張るという量だけ考えておけばよかった時代です。ベクトル(向き+量)ではなくスカラー(量)の世界です。経済学では限界効用逓減の法則というものがあって、1杯目のビールより2杯目のビールのほうが感じる満足度が低くなるというものです。人間の「飽き」を表現している法則です。この時代には、毎年増加する給料によって夢のマイカー、そして夢のマイホームというように新しい世界を夢見ることが出来ました。給料が上がることが予想できるから、それによって飽きを感じずに生きていくことができました。

方向性の無い時代に問われる「何のために生まれたのか?」

人口ボーナスが終わると賃金が高くなってしまい就労人口よりも高齢者が増えお金のめぐりが悪くなります。すると、今賃金が安くて人口ボーナスによって国内景気も良い東南アジアに仕事が移っていき、日本国内の仕事は減ります(愛知県ですと自動車産業周辺ではタイに工場を移転したのに伴い、その会社だけでなくその会社に営業していた会社もタイに拠点を作ったりというのはよくある話)。

景気も落ち着いてしまい仕事も減りますが、日本ではブラック企業が多いからか色々なサービスが非常に安価に提供されています。ですので、生きるだけなら手取り20万円もあれば結構幸せにくらせます。もちろん、かつてほとんどの人が毎年昇給して次はテレビを買おうか冷蔵庫を買おうかと想像しながら豊かさを感じていたように、経済的成長から幸福感を感じることは難しくなっていますから、なにで幸せを求めるのかというのは個人によって異なります。とすると、個人が自分で考え判断する能力無しには、人口ボーナス終了後の日本において生き延びることは出来ても本当の意味で生きていくことは困難になっていくのです。ベクトルが求められるようになった時代と言えるでしょう。「何のために生まれて、何をしてよろこぶ」というアンパンマンのテーマが各個人に与えられた人生の命題です。

希望を持ちづらい社会構造

考え方というのは親から子へと伝わっていきます。よほど親がイケイケどんどんに仕事を楽しんでいれば子供も将来に可能性を感じられるでしょうが、仕事が楽しくて仕方が無いという人は少数派です。大多数の人にとって、仕事そのものの楽しみというよりは、それが家庭にもたらす経済的な楽しみのほうが大きい意味を持っているように思えます。

今の日本では経済成長がほぼ横ばいですから、会社規模が大きくならない。とすると、必然的にピラミッド型組織では昇格して仕事をどんどんレベルアップして楽しめる人というのは割合として少なくなります。人口ボーナス時代においては組織が大きくなりポストが増えましたから、40歳までにみな課長に昇格、とかいう人事がありえました。しかし今はめったにありません。課長代理とか担当課長とかそれっぽい役職がつけばまだいいほうで、「あと何年後に誰々部長が退職したら、次に〇〇次長が昇格したら、課長ポストがあくから5年上の△△先輩が課長になって・・・俺はいつになるのか」とため息をつく人も少なくないでしょう。役所や旧態依然の会社に営業にいったときに、役職通りに並べられたデスクを見て寒気がしたのを思い出します。椅子が空くのを待つというのは他人依存の考え方の典型的パターンですが、そういう人が同じ空気を家庭に持ち込まない保証はありません。

で、東京名古屋大阪くらいならまだマシなんですよ。私の勤務していた会社ではある程度組織も成長していたし何よりITのソフトウェアというのは利益率が高いですから年俸も悪くありませんでした。仕立てのいいスーツを着て、2-3年に一度最新モデルに買い換えられるノートPCでパワーポイントを立ち上げて提案資料を作りながら、新宿マインズタワーの33階(最上階)で眺めた夜景は恍惚の「資本主義から見た景色」でした(ちなみに水平線から上る朝日も美しかったです)。しかしこれが一歩地方に入ってしまうと、地方は経済も循環しないし会社規模も成長しないし、起業すれば全然やっていけると思いますが(誰もやらないからチャンスは多い)、起業する人というのはダントツで東京が多い。身近なお手本無しに地方で起業出来る人なんてごくわずかだし、そんな人は思考力のある人だからそもそも東京どころか世界に出て活躍しています。

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大学受験で身につく思考力が果たす役割は大きい

さて主題にもどりまして、今はベクトルが求められる時代です。未来に希望が持てるからこそ、自分が何のためにうまれて何をして生きるのか、という方向性を考えることができます。下流志向 (内田樹、講談社文庫)や、希望格差社会 (山田昌弘、ちくま文庫)で述べられているように、この未来にたいする希望というのは基本的には失われている傾向にあります。希望がないと方向性を考えるどころか、いかに現状に満足、いや自分を納得させて生きるかという諦めの方程式を解くようになる傾向にあります。これは個人や家庭の問題というより、社会の構造といえるのである程度受け入れざるを得ない現実ですがだからといって、何もしなくていいわけではもちろん無い。林修氏が受験必要論(集英社) で述べているように、大学受験が果たす役割は無視できないものがあります。

社会に出ると、受験とは違って、答えが1つかどうか、いやそれ以前に答えがあるかどうかもわからない「問題」を解かねばなりません。それでも、受験という答えのある問題を解く練習をする中で、答えの無い問題を解ける基礎ができる部分もあるのです。

(「受験必要論」より)

教師からしたら、合格させるために宿題を大量にやらせたい気持ちがあるのも無理はありません。保護者と生徒がコッコウリツ大好きなのですから、学校としてはいかにコッコウリツの成果を出すかという考えをするのは当たり前の話です。しかし結果として、自立心が育たないというのは時代錯誤というのが私の考え方です。ちなみに中学生向けの塾で宿題が多いところも同罪です。

塾が出来ることと言うのは極めて限定的ではありますが、宿題という作業によって依存心を与えるのではなく、受験を通じて考える機会を多く提供していきたいです。

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清須市の大学受験 相伝学舎

web: http://www.sodeng.jp