月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

ネジ3本抜いてやんよ

学力の上がる勉強はこうだよ、と教えてあげても10人中10人全員が私の言うとおり素直にやってくれるというわけではないことは、塾を開いて2年半かけて分かった人間の本質の一つです。仮に私がウニのようにチクチクした性格ではなくて、万人受けする柔和な性格で、つねに爽やかな香水を身にまとい、誰もが振り返ってしまうイケメンだったとしても10人中10人とはならないでしょう。(いや、なるかも?!)

一応お金をいただいて教えている以上、うちの塾で学ばなかったよりは学んだほうが高い学力をもって入試当日を迎えさせてあげられる自信はあります。ただ、その差分は、素直な性格の子が10だとしたら平均的な生徒が3-4で、場合によっては1くらいの生徒もいます。集団指導だから差別して教えるということはありませんが、月謝が同じでも生徒によって得るものの差が激しいというのは塾の興味深いところです。

これが1万円のカニ鍋コースだったら、満足度が10から1まで差がつくことは考えにくい。6から8くらいでまとまるでしょう。塾で学ぶというのは生徒側の主体性が求められる行為であるのにたいし、カニ鍋を食べるというのは食べる側の主体性など不要です。カニの身をほじくることが主体的とは言いません。

大学受験の塾というのは楽器のレッスンに近いですね。

私ギターが好きで、大学時代に速弾きを極めたいと思って色々先生を探した結果、ヤマハで良い先生を見つけたので週1回30分だけ教わっていた時期がありました。ドレミ/レミファ/ミファソ/ファソラ・・・」と3音を1音ずらしで弾いていく練習とか「へっ?そんなので上手くなるの?」と思うんですけど、これがびっくりするほど効果あるんですよ。毎回30分のレッスンをこっそり録音して次のレッスンまで何時間も家で復習していました。でも私が復習せずに30分だけで上手くなろうと思っていたら、何も得るものはなかったでしょうね。

塾で言ったら「計算するときはノートを使うな、コピー用紙を使え」とか「板書を写すときには文字と図を大きくかけ」とかいうことにあたるんですが、「へっ?そんなんで数学できるようになるの?」と思うじゃないですか。これが、なるんですよ。

もう少し過激なレッスンになると「学校の定期テストは全部無視して、自分のやるべき参考書だけやれ」とか「授業は全部内職しろ」になるんですが、びっくりするくらい上がりますよ。巷にあふれるビリギャル的ストーリー(1年で偏差値30から○○大学合格、的なやつ)は基本これですからね。でも、これが出来る人はなかなかいません。どっか頭のネジがぶっ飛んでないと、無理です。

私の生徒で差分が10の学力爆上げ系の生徒は、みんなネジが3本くらいぶっ飛んでますね。頼もしいですよ。そういう生徒のネジをもう3本くらい抜いて、社会に送り込んでやるのが私の使命です。協調性のある普通の子に育って欲しいと願うお父様とお母様は、間違っても私の塾に預けちゃだめですよ。「学校で内職してたら先生に参考書取り上げられました」って生徒が言ったら「それがうちの塾生の受ける洗礼だ」といって褒めますからね。


清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp