正直こういう記事を書いたところで、学校の先生とは価値観が違いすぎるのでもし読んでもらえたとしても1mmも理解してもらえないでしょう。
高校の先生へ。生徒はあなたの部下ではないし自己実現の道具でもありません。 - 月刊木村:清須市で営む塾での日々
全ての人間はホモサピエンスという学名によって分類されますが、実際には価値観によってもっと細かく分類される生き物です。
同じホモサピエンスであって小分類が違う生き物としては、イメージしやすいところでいうと政治家では「安芸高田市長と市議会議員」、一般市民では「煽り運転しちゃう人としない人」、アニメでは「煉獄さんと猗窩座」などがあります。小分類が異なると、それぞれの正義が違いすぎて仮に話し合いをしたとして妥協点を見つけられません。
私みたいに「生徒の志望校なんてどこでもいいじゃん、脇役は支援するだけでしょ」という立場のホモサピエンスもいれば、「生徒は高校のコッコウリツ合格者数の弾だから共通テスト終了後のバンザイシステムでA判定のコッコウリツに出願させるのが教員としてのやりがい」みたいなホモサピエンスもいます。
百歩譲って、「どこでもいいからコッコウリツ行きたいです」という高校3年生に対してはそういう指導もありだと思うんですが、たとえば「岐阜大以外は出願したくない」という高校生に北見工大の出願を強く説得したり、「そもそも私大専願でいきたい」という高校生に7科目の補習の受講を強制させるのにはどういう正義があるのか、ホモサピエンス・コッコウリツの言い分も死ぬまでにいちど聞いてみたいです。