小1の甥がいまして、ここ数日私のあいている時間に国語と算数を教えていました。
これまで私は、小学生を教えるには特殊技能が必要だと思っていたのですがそんなことはなく、勉強の内容だけに注目すれば小学生から中学生まではだいたい同じノリで教えられるきがします。
ただ小学生はとにかくうるさい(うるさそう)、中学生1・2年は思春期でウザイという別の問題はありそうです。
さて、甥は引き算が出来ないという問題があると事前に聞かされていて、たしかに引き算が苦手というか解くのに時間がかかってしまうという問題がありました。そのほか、足し算させると44+6などで50に行くと思いきや40の次が30だと間違えて覚えているという問題や、文章題になると問題をたいして読まずに本文中の数字をとりあえず足す、とりあえず引く、という問題も抱えていました。
で、実際こういう問題を解決するにはどのくらいかかるだろうかというのを考えると、おそらく1日2時間を週3日〜4日、2ヶ月くらいを要するんじゃないかと思います。まあこれまで何十人という小学生を教えたわけでもないし、というかそもそも教えたことすらないので想像にすぎませんが・・・。
仮にそれだけの時間がかかるとして、塾に解決を求めるならば毎月数万円の出費がかかるでしょう。ではそれだけのお金をかける家庭があるかというと、あまりないんじゃないでしょうか。
というのも、小学生の習い事の相場ってだいたい毎月1万円未満くらいのところが多いですよね?それを何個かかけもちするのが、よく見られるパターンかと思いますが。
一番いいのは、小学校低学年くらいなら親が先生になることでしょう。家庭教師なら1時間3000円はかかる勉強も、親がやれば無料です。
しかし、勉強のわからない子供を教える経験がない人がいきなり教えるのは結構難しいんじゃないかと思うんですよ。というのも、「12-5」とか「7+8」とかいう大人にとっては1秒もかからずに解ける問題を、子供は必死に考えて、場合によっては手をつかって考えます。
「なんでこんなのも分からないんだ!」と怒ってしまう人も多いことでしょう。
分からない生徒を教えるにはこの感情を持たないことが大切です。逆に「この子の頭のなかで何が難しいと感じられているのだろうか」とこちらが興味関心をもたなくてはいけません。
自分にとって簡単な問題でも本人にとって極めて難しいということはいくらでもありえます。私にとっては青チャートの問題は簡単ですが、高校1年生たちにとっては難しいと感じられるし、それが一宮高校生だろうと西春高校生だろうと、まあどこの高校生だろうと同じことです。
「そんな簡単なことわかるだろ」と叱るまえに、自分がわからなかったときの気持ちを思いださなければいけません。
しかし小学校低学年のときの分からない気持ちなんて普通は覚えていませんから、こちらが想像することが大切になってくるわけです。
12-5は?ときかれたら12が5と7に分割されるイメージを持っているので「7」と即答できるわけですが、おそらく小1で引き算を学んだばかりだとこのイメージがないので指を折らないとわからないということが発生します。これは大人が54×6は?と聞かれて即答できないのと同じことです。
文章題も同様です。大人にとってはひらがなで4〜5行の文章など15秒で読解できてしまうしその場ですぐに答えがわかるものですが、小学1年生の視点からすると、大人にとって新聞1面を読むのと似たような感覚があるのかもしれません。
読むスピードがおそいし、「たす」とか「くわえる」ならわかっても「ふえる」という単語をひょっとしたら知らないかもしれませんし「いすがなんこありますか」なら分かっても「ざせきはなんこですか」と聞かれたら「座席」という単語を知らなくてわからないのかもしれません。
絵をみて「ピクニック」というカタカナを書くという問題を「ピクリック」と書いている姿をみれば、子供がこの世界をどう認識しているのかと大人がどう認識しているのかには大きな違いがあることが分かると思います。
しかしそこに注目せずに「そんなのピクニックに決まっているだろう!」と言われても、まだ知らないのですよ。大人だって「雰囲気」を「ふいんき」と認識している人はいくらでもいるだろうし「分別のある人間」を「ぶんべつ」と読んでしまう人はもっと多いはずです。「ふんべつって読むんだよバーカ!www」と言われたらいらっとすると思いますが、それといっしょです。
「分かっていない人は何を難しいと感じているのだろうか?」という視点を持ちましょう。