月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

上には上がいる

今日は夜に中学生に国語を教えました。根拠を本文中に求めるというのはどういうことか、というのが一貫した大きなテーマです。偏屈クソ野郎の私が、小説だろうが論説だろうが理詰めで答えを探していくやりかたを教えます。

国語を同時に教えるのは2人が限界。生徒がどう解答を選んだのか聞きたいし、記述問題であればどう答えたのかを見たい。それが分からないと、教えられません。ゴルフのレッスンに似てますね。実際に身体を動かしてみて、「頭は動かしちゃダメ」とか「左手の甲はもっと上向かせて」とか、レッスンプロに手取り足取り教えてもらわないと上達できません。

さて2人の生徒、一人は小牧市で一人は常滑市という遠方から来てもらっています。まだ開いて2年しかたっていない弱小個人塾ですが、わざわざ発見してもらって、足を運んでいただけるというのは、ありがたいことです。

一人はまだ中学1年生なのですが、すでに目標が明確で○○高校に進学して学年で一位を取りたいそう。そこの高校で一位をとれば、愛知県で一位をとったと言えるだろうというのが良いらしいです。○○高校に行きたいとか、○○大学に行きたいという目標を持つ中高生は多いですが、その先に何がしたいというより具体的な目標を持っている生徒の割合はぐっと少なくなると思います。しかし、私は目標は具体的であればあるほど良いと思っていまして、中1のうちからそこまで具体的に考えられるのはすごいなあと思っていたわけです。

で、今日「学校の数学どう?簡単でしょ?」と聞いたら「小学校の算数のほうが面白かった」とのこと。なぜか聞くと「頭をつかって解く問題が多かった」。みなさん、中1の発言に思えます?私なんて中学1年生のときのとき何も考えてませんでしたよ。せいぜい、校庭の松の木の花粉がキツイわぁくらいでしたね(私の中学には松林があった)。

しかも「もう中1の内容は自分で教科書で勉強して終わらせて、今は体系数学*をやっています」とのこと。(*体系数学とは中高一貫校で使われる教科書)

よく数学な得意な人が中学校の数学は1年で終えて高校数学に移ったとか、中学3年までに高校数学IAIIBまで終わらせたとかいうことを書いているのを、どこかで聞いたことがあるし、公立高校でも進学校の理系クラスだと高2までに数III終わらせたとかいう意味不明の数学好きがいるじゃないですか。たしか一宮で高1のうちに京大の過去問をバンバン解いちゃう生徒がいるとか、生徒が言ってたきがします。

本物がここにいた!という感じ。実際に、いるんですね。オオサンショウウオ出たぁ!に近い。

塾をやってると毎年「こんなすごい中高生がいるのだな」ということの繰り返し。がんばろ。 

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根拠はいずこ?!

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勉強する価値あるよ

高校3年生たちは朝から晩までひたすら自習をしているから夏休みで学力を相当伸ばすだろうし、高1、高2の生徒達もテンションが高い生徒は授業の無い日も自習室で同じく自習をして学力を伸ばしています。

全員に共通した目的はただ一つ、第一志望に合格したい、それだけでしょう。

毎日10時間以上勉強して大学に行く価値はあるのか?高1、高2のうちから貴重な青春の時間を削って勉強をする価値はあるのか?

当然、その答えはYESです。

 

たった3年間の高校生活を充実させて死ぬまでの60年間を消化試合的に過ごすのか、3年間は時間を勉強に投資して残り60年間の充実を図るのか、考えるまでもありません。

かくいう私は高2途中までは空気の抜けた浮き輪状態で、勉強なんて何もせずにひたすらギターばっかり弾いていたのですが、高校生活の後半は勉強に捧げました。

あのとき「そろそろ勉強やるか」と思った自分に感謝してます。

こう書くと「高2からで間に合うのか」と勘違いする人もいると思うので忠告しておきますが、私は相当メンタルが強いので「やるか」と思った日から最後まで、学校の授業を全て無視して内職を続けられましたし、決めたことはやり通すタイプなので受験勉強中のゆるみはほとんど無かったと思います。

偏屈クソ野郎じゃないと、そんなこと出来ません。公立進学校に在籍する生徒というのは優しい人が多いので無理です。

高校受験を終えた高1の最初からコツコツ積み上げていくほうが、よほど確実だし、優しい人にはその道しかありません。

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自習室盛り上がり中

夏休みが始まって10日ほどたっていますが自習室は毎日かなり盛り上がっています。もちろん誰も一言も喋らない(というか喋れない)ので盛り上がっているのは雰囲気ではなくて生徒達の頭の中とかペンを持つ手なのですが、まあとにかく盛り上がっています。

高3たちは朝9時に授業を開始して、2時間休憩無しでひたすら数学の問題を解き続け、それが終われば蜘蛛の子をちらしたように帰宅し、昼食を食べたら磁石に吸い寄せられるようにまた自習室にきて、夜になればまた帰宅し、再び自習室へ戻ってくるという。この往復エネルギーで発電できそうです。

しかも高1、高2の生徒でも長時間自習する生徒がちらほら。高1高2の生徒にとっては、50cm隣に長時間自習している高3の生徒がいて、すげーなーと思いながら勉強できるでしょうから、良い環境ですよね。案外、先輩達がどんな様子で勉強しているかって高校生活では見る機会ないですから。他塾や一般の高校生達の様子は知りませんが、たぶん、うちの生徒達の自習っぷりは激しい傾向にあると思います。

で、この秘けつは、私の塾がやる気スイッチであること!なはずがなく、ただ私がまじめな生徒だけを入塾させているから。勉強のやる気がないけどただ母親につれてこられたというのは論外だし、勉強習慣のついていない生徒も「毎日○時間できる?」と聞いて覚悟を問います。口だけのやつも中にはいるのでしょうけど、最低限口だけでも言えないとキツイと思います。入塾時の選別は塾の風紀を保つのと同時に私の精神衛生を保つ役割も果たしています。商売的にはやる気の微妙な生徒をいれて、そういう生徒むけにジャンジャン補習講座とかいって販売すればもっと儲かると思うので、いつか私が方針を変えたら「木村も悪魔に魂を売ったのか」と思ってください。

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ありのままの自分を認めてあげないと

昨日書いた通り、私は将来の自分を認めてあげるためにも今の自分を認めているヒマはないと考えているのですが、一方で承認欲求が満たされないと精神的に不健全であることは否めません。

そこで、誰が出てくるかというと、blogを熱心にご覧のお母様、はい、あなたです。

大学受験にとりかかっている高校生というのは彼女彼氏がいれば別かもしれませんが、認められる機会が少ない。模試はいつだってE判定だし、基本だよねと言われる青チャートだっていまだに解法を忘れては覚えてを繰り返しているし、二次よりは簡単だという位置づけのはずのマーク模試だって6割をとれない。

朝8時に家を出て、問題がとけない不満と合格できるかわからない不安と12時間戦って帰宅して、休息であるはずの夕食で「勉強ちゃんとやってるの?順調なの?」などと聞かれた心境をぜひ想像してみてください。「うるせぇ、黙ってろ」以上でも以下でもありません。

勉強についてチクチク言われるよりも「別に無理して勉強しないでもいいよ」くらいの無味無臭な言葉を投げかけられたほうが安心できるはずで、親ができることといったらせいぜいそれくらいしかないのですが、一方で安心を少し与えるというたったそれだけのことであっても親にしか出来ないことなのも事実です。

日々最前線でドンパチ戦っている受験生にとって家というのは母艦です。休息をとって燃料をいれてまた翌日カタパルトからシュパッと発射される運命にあることを考えてください。

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ありのままの自分を認めてる場合じゃないよ

教えるという仕事をやっているので、日々生徒になんらかの形で「こうしたらいいよ」という助言をするのですが、その通りにやってくれる生徒と「わかりました」といいながらも今までのやり方を変えない生徒がいます。

私は英語がわからない、数学が分からないという生徒の気持ち(というか分からない点)の大部分は分かっているつもりですが、やり方を変えない生徒の気持ちは実は全く分かりません。

勉強にかぎらず、人に何かを教えてもらう場合には、その人の助言に従うのが当たり前だと思っているからです。

しかし、「わからないことがわかった」と哲学的なことを言ってみても話が進まないので、なぜ変えないのだろうかという原因を考えることになります。

そこで最近考えたのが、やり方を変えない生徒にとって、やり方を変えるということは「過去の自分を否定すること」だと感じているのではないかということです。塾に来る生徒というのは、まあそれなりの進学校である場合が多く、言い換えれば中学時代は勉強が出来るほうだったわけです。

高校になって塾にいって、今までうまくいっていた自分のやり方と違うことを教えられた、でも今まではうまくいっていたのだから変えたくない、今までの自分が間違いなはずがない。

と、意識してか無意識でかわかりませんが、感じているのではないでしょうか。

数年前「ありの〜ままの〜」という曲をあらゆるところで聞いていたことが影響しているかどうかは分かりませんが、変なところで自分を肯定するのはやめましょう。「ありのままで」ダメだったのだから変化をしていく必要があるのです。

というか、ありのままの自分を未来永劫に認めてあげるためには、今の自分を否定しなければいけません。

なぜなら、人間は「飽き」という性質を持っているからです。今の自分を認めて変化を拒み続ければ、必ず現状に飽きがきます。飽きというのは不満といっても良いかもしれません。そうすると現状に満足するのではなく、納得することになる。納得というのは満足とは似て異なるものです。

また、あなたが変化を拒んでいる一方で、変化をつづけていく人が必ず存在することも考慮しなければいけません。頑張ったものが勝つという社会において、現状維持というのは維持ではなくて停滞です。

だから、未来の自分を認めてあげるためには、現状から少しでもレベルアップするために変化をしなければならない。言い換えれば、未来の自分を肯定するために今の自分を否定しなければいけません。

「じゃあ、いつ満足すんの?結局、未来がきてもその時も自分を否定しなきゃいけないんでしょ?」

と思うかもしれません。それはその通りです。一度そのレールにのったら、死ぬまで自分を否定し続けることになります。でも、それでいいんです。山を登っている途中で少し振り返ってみたら「ずいぶん景色がきれいになったな」と思いながら、また先を目指すではありませんか。その時に少し満足できるし、なにより山を登っている一歩一歩から大きい満足を得られるのです。

そう考えれば歩んでいくその一歩一歩は何ら自分を否定するものではないと気づくでしょう!

 

31年しか生きていないクセにまた偉そうなことを書いてしまいました。開き直って宗教でも始めようかな? 

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