月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

じょう○う

ここ数日恩師への感謝エネルギーであふれるblogになったので、中和するためにちょっとしたディスりをします。

今日は娘の幼稚園の最終日で保護者が集められて来年度の話を聞きました。

4月以降は園児のマスクは任意とし、職員は引き続き着用するそうです。

そこまではまあいいとしてその後。

「また情報が変わって対応が変わることがあるかもしれませんが・・・」

じょじょじょ、情報?

「状況」なら分かるが「情報」によって判断を変えるの?

この人達、本当に脳みそついてるのかなと思ったんですが、普段から自分で何かを決める権限がない人は決定事項を受け入れるしかないから「状況」じゃなくて「情報」によって行動が変わるんですね。

いやー世の中奴隷みたいな考え方する人って結構多いですね。

大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
http://www.sodeng.jp

恩師伊藤先生の話3

「教祖、上智受かりました!」

「まじで?!ウォーーーーーーー!!!!」

教祖は電話越しに絶叫していました。そんなに喜んでくれるのかと逆にびっくりしました。

合格発表後はもちろん親にも電話したんですけど、親は案外クールなんですよね。まあとにかく教祖が喜んでくれて良かったです。慶應の発表後も電話しましたが、上智の時よりは若干トーンダウンしてました。「受かりそうな気がしてた」らしいですw

その後は雄勝學舎でのバイトとして採用していただいて大学卒業まで4年間働き続けましたが、バイト後に「キム今日これからラーメン食べいこうか」といって車で1時間くらいのいろんな美味しいラーメン屋さんに連れて行ってくださったり、随分かわいがってもらいました。

大学卒業後は1-2回塾に挨拶にいったくらいで、ここ7年くらいは会っていなかったんですが、先日教祖から「キム今から名古屋いくから飲まない?」と電話があり「いきます!」と即答して、7年ぶり?の再開を果たしました。教祖の面影は私が高校時代に通塾していたあの頃と変わりませんでした。「まずラーメン食べようか」といって栄にあるラーメン屋さんで隣の席に並んだときは、バイト後に吉村家、二郎、なんでんかんでん、御天など、あらゆる美味しいラーメンやさんに連れて行ってもらったあのときを思い出しました。

明け方まで飲んだあと、「明日キムの塾みせてよ」と言っていただけで、実際に翌日に清須校舎に足を運んで下さいました。

私の人生、高校生までは親に育ててもらいましたが、高校生から今にいたるまではずっと教祖のおかげで成り立っています。この人がいなければ絶対に慶應には合格していないし、その後の会社員勤務を経て、相伝学舎を立ち上げることも絶対にありません。

人生の運という運を、高2の秋に使い果たしたかもしれません。

 

 

大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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恩師伊藤先生の話2

雄勝學舎での勉強はそれまでの私の数学の勉強のイメージを完全に変えました。「同じ問題をくり返しとく」「公式を証明できるように練習する」など、今当塾で教えていることはほとんどすべて雄勝學舎で学んだことです。

しかし最初の3ヶ月くらいは本当に辛かったです。判別式の意味すら分からない状態からの入塾で、集団指導塾だったので教祖の授業内容なんて半分も理解出来ません。塾のある曜日は「今日塾か・・・」と思ってちょっと暗い気分でした。19時からの授業開始に備えて、放課後の16時〜18時の間に図書館でちょっと寝てから塾に向かったものでした。

それでも絶対に合格したいという気持ちで、週3(週4だったかな?)の授業の受講と復習を頑張ってなんとか「塾行くのが嫌だ」という気持ちはなくなり、逆に「このまま頑張ったらなんとかなるのでは?」と思うようになりました。

しかし相変わらず塾の授業はプレッシャーがありました。私は西湘高校といって当時学区では二番手校だったんですが、雄勝學舎の塾生はほとんどが小田原高校という地域のトップ校に所属していて、しかも私と違って高1からちゃんと勉強している人ばかりなのでみんな超優秀です。同じ塾生にバカと思われるんじゃないかというプレッシャーがありました。結局、最後までそれなりにピリピリした塾生生活でした。

そんな塾生生活ですが私はとにかく教祖が大好きだったので、数学の勉強も教祖の言うことだけを信じて教祖の言う通りに勉強を続けました。普段は明るく生徒と接しているのに授業になると目つきがとても鋭く、知的オーラを発しています。授業も高校の先生とは全く違って、難解な内容の解説もどんどん頭に入っていきます。いわゆるカリスマ性のあるタイプの先生でした。授業している姿はかっこよくて憧れました。

最後の模試まで偏差値的には50台をうろうろした感じでしたが、年を開けたくらいに急にあらゆる数学の問題が解けるようになって「まじで?!」と自分でびっくりした記憶があります。

今まで断片的だった数学の知識が年明けの数週間で一気に体系的に整理されていきました。全く解ける気がしなかった赤本での過去問演習も解けるようになって、自分の成長を実感しました。

慶應の受験が確か2月18日で、その前に受けた上智大経済学部の合格発表がその日だったので三田で受験した帰りに四ツ谷の上智大の合格発表掲示板を見に行って自分の受験番号を確認したあとすぐに教祖に電話を掛けました。

 

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恩師伊藤先生の話1

私は学生時代、幸運なことに口うるさい親も教師もいなかったので、高1のうちは勉強なんて何もせずにバイトばっかりして、高2の後半から受験勉強を詰め込み、1年ちょっとの勉強時間で慶應大学に合格できました。

私大なのでみなさんあんまりピンとこないと思いますが、1年ちょっとの勉強で名大経済に受かったくらいの難しさです。あーこんなこと言ったら、国公立コンプレックスの人がどっかで私のことを叩きそうで怖いな。まあ科目数の違いがあるからそもそも比較できませんが、イメージとして考えてください。

一般には名大経済合格者全員が慶應経済に合格できるわけではないし、逆に慶應経済合格者の全員が名大経済に合格できるわけでもありません。

さて、高校時代を振り返ると「この人がいなければ今の自分は絶対にいない!」と言える恩師が何人かいるんですが、そのなかでもダントツでお世話になった先生が高校時代に私が通った個人塾の先生です。

小田原市にある雄勝學舎(ゆうしょうがくしゃ)という塾の塾長の伊藤先生で、みんなからは「教祖」と呼ばれていて私も教祖と呼んでおります。

私は高校2年生のときに高1のときの担任の内田先生に「受験勉強どうやったらいいか?」と相談にいったところ「斉藤の行ってる塾がいいらしいからそこいったら?」と言われて、教祖の塾を紹介してもらいました。

雄勝學舎は当時卒業生がまだ出ていなくて、怪しい個人塾の一つでした。私は一期生の学年に高2の秋から入塾することになります。当時高校の同級生は、河合塾やSTEP(神奈川県で有名な塾で愛知県で言うところの野田塾)に通う人が多かったんですが、なんでそんな適当な予備校選択で合格できると思うのか私にはまったく理解できませんでした。雄勝學舎からは合格の香り、じゃなくて塾生が給湯室で作る即席ラーメンの香りがしてそれにも驚きましたが、ここで頑張りたいという気持ちになる塾でした。

 

大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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予告

うちの塾の卒業生がたまに塾に遊びにきてくれるように、私も大学卒業後は高校時代に通った塾に顔をだしたものです。

大学受験で人生変わった自分にとって、その塾の塾長には感謝してもしきれません。

その塾長と先日数年ぶりに会ったことを記事に書いたら、2500文字になってしまいました。

最近は多忙でblog書く時間もないのでこの2500文字を何回かに分けて投稿します。

うちの塾で教えていることは、すべてその塾で習ったことなので塾の在校生にとっても大変ありがたい話のはずです。

それでは明日をお楽しみに〜

大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
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