月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

恩師伊藤先生の話2

雄勝學舎での勉強はそれまでの私の数学の勉強のイメージを完全に変えました。「同じ問題をくり返しとく」「公式を証明できるように練習する」など、今当塾で教えていることはほとんどすべて雄勝學舎で学んだことです。

しかし最初の3ヶ月くらいは本当に辛かったです。判別式の意味すら分からない状態からの入塾で、集団指導塾だったので教祖の授業内容なんて半分も理解出来ません。塾のある曜日は「今日塾か・・・」と思ってちょっと暗い気分でした。19時からの授業開始に備えて、放課後の16時〜18時の間に図書館でちょっと寝てから塾に向かったものでした。

それでも絶対に合格したいという気持ちで、週3(週4だったかな?)の授業の受講と復習を頑張ってなんとか「塾行くのが嫌だ」という気持ちはなくなり、逆に「このまま頑張ったらなんとかなるのでは?」と思うようになりました。

しかし相変わらず塾の授業はプレッシャーがありました。私は西湘高校といって当時学区では二番手校だったんですが、雄勝學舎の塾生はほとんどが小田原高校という地域のトップ校に所属していて、しかも私と違って高1からちゃんと勉強している人ばかりなのでみんな超優秀です。同じ塾生にバカと思われるんじゃないかというプレッシャーがありました。結局、最後までそれなりにピリピリした塾生生活でした。

そんな塾生生活ですが私はとにかく教祖が大好きだったので、数学の勉強も教祖の言うことだけを信じて教祖の言う通りに勉強を続けました。普段は明るく生徒と接しているのに授業になると目つきがとても鋭く、知的オーラを発しています。授業も高校の先生とは全く違って、難解な内容の解説もどんどん頭に入っていきます。いわゆるカリスマ性のあるタイプの先生でした。授業している姿はかっこよくて憧れました。

最後の模試まで偏差値的には50台をうろうろした感じでしたが、年を開けたくらいに急にあらゆる数学の問題が解けるようになって「まじで?!」と自分でびっくりした記憶があります。

今まで断片的だった数学の知識が年明けの数週間で一気に体系的に整理されていきました。全く解ける気がしなかった赤本での過去問演習も解けるようになって、自分の成長を実感しました。

慶應の受験が確か2月18日で、その前に受けた上智大経済学部の合格発表がその日だったので三田で受験した帰りに四ツ谷の上智大の合格発表掲示板を見に行って自分の受験番号を確認したあとすぐに教祖に電話を掛けました。

 

大学受験 相伝学舎 (清須校舎、桜山校舎)
http://www.sodeng.jp