昨日高校3年生の体験入塾希望の面談で「学校の英語をやっていても出来るようにならない」という相談を受けました。私にとっては「お腹がすいたときに食べるご飯は美味しい」くらい当たり前のことですが、純粋無垢な高校生にとっては不思議な現象に思えるはずです。この原因について考えてみます。
1.枠組みの限界
塾と違って高校は文科省の枠組みで授業を作らなければならないという制限があります。そして高校は高校の教育のためにあるのであって大学受験のためにあるのではありません。高校のカリキュラムにおいて英語は最も授業のコマ数が多く高校生たちは週に何時間も勉強していますが、リーディングやコミュニケーションと細分化された英語には全体の統一感や設計思想はなく、ただ英語にふれあう量が多いというだけで、最終的にできあがるのは「単語はわかる、文法も知っている、しかし長文は読めない」という状態です。
公立高校の生徒の多くはこのような状態で入試に突入していきます。
2.指導者の限界
高校で英語を教えている人が、本当に高校時代に英語が読めるようになったかどうか、これは大きな分かれ目です。高校時代にセンター英語7割、二次英語6割でも受かってしまう英語教員養成系の学部など山ほどあります。受験生は3年間という制約時間のなかで英語を読めるようにしなければならないのですが、教える側がそれを達成した経験がないのであれば、その授業で読めるようになることは考えにくいです。
もちろん、高校で英語を教えている人は今現在英語を読めるはずですが、それは高校時代に読めるようになったのではなく、大学の4年間やその後の教員生活のなかで読めるようになったものである可能性があるわけです。時間をかけて、単語や文法をこつこつ覚えていけば知らない表現は少なくなるし、ましてや教員の手元には指導書があるのでどんな教科書の英文でも説明できないことはありません。
3年以内という短時間で英語を身につけた経験がないひとは、3年以内に読めるようになる指導は想像もつかないでしょう。
残念ながら、3年以内で英語を身につけた経験のある人、つまり現役で難関大学に進学した経験のある人はビジネスの世界に進んでいく人がほとんどで教員になることは極めて少ないのが現状です。
私は高校時代に通っていた塾で幸運なことに現役の東大生に英語を教わる経験をして、単語や文法を覚えるのではなく、読めるようになるための英語読解訓練のやりかたを教わったので現役のうちに英語が読めるようになる経験ができました。
「こんな勉強あるのか!」という感動がありました。
今は逆に「こんな勉強がありますよ」と教える側になりましたが、英語が読めるようになっている様子をみるのもまた、読めるようになるのと同じように嬉しさを感じます。