月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

文法問題集をどれだけ解いても読めない恐怖の受験英語

志望校に合格する条件は合格最低点をとることですが、英語で合格点をとる条件はといえば読解問題で得点をとれることです。大学入試というのはセンター試験も含めて英文を読んで「これに書いてあることはなあに?」という問題の配点が高いので、当然のことです。

「英文を読んで書いてあることを理解する」ということが中高生の世界においては「長文問題ができる」みたいな言い回しになるのですが、この表現はあんまりよくないですね。文法問題と長文問題という2つのジャンルがあるような気がしてしまう上に、この2つが並列の存在であるかのように感じられてしまうからです。

まず、長文問題というジャンルはそもそも存在するのでしょうか?長文の「解き方」が存在する?いやいや、そんなものはありません。入試英語というのは英文に書かれていることを読めれば、それを和訳しろと言われようが内容一致するものを選べと言われようが、簡単にできます。極端にいえばこんな感じ。

 

本文:桃太郎は、カエルが牛につぶされるのを道路で見た後で、犬とシマウマがケンカするのをなだめて、ゾウとキリンをもう一度動物園で見たいなあと思いながら、猿とキジと犬をつれて、鬼を退治にいきました

 

問題:桃太郎が鬼退治につれていったのは次のうちどれ

1.カエルと牛  3.猿とキジ

2.犬とシマウマ  4. ゾウとキリン

 

これに解き方もクソもないのです。入試英語はこの本文が英語になったものなので、本文の英語が読めれば正解を選択できます。これが現代文となると内容理解するのに色々背景知識がないと内容が抽象的すぎて意味不明という事態が起こり得るのですが、英語に関して言えば東大京大を除けばそういう読解力の試される問題というのは出題されません。受験生の99%にとって、大学受験の英語とは英語を読めるようになればそれで合格点がとれるものです。

これを「長文問題」などと言い換えると、ひたすら長文問題を解けばそのうち読解力があがってきて問題が解けるようになる、などという幻想に惑わされることになるのですがそれはありえない。昨日の記事を頑張って読んでください。高校受験の英語とは違って、大学受験の英語は単語が平易でも読解が簡単とは限らない。文法の知識を、与えられたナマの英文で活用するという正真正銘の「英語を正しく読む力」が必要なのです。

 

 

「この問題の正解はアだろうかエだろうか、うーん」と言いながら英文と選択肢をいったりきたりすることは英語の勉強ではない!

「このto不定詞は副詞だろうか形容詞だろうか、うーん」と言いながら辞書を引いたりロイヤル英文法を引いたりして文法を確かめながら、英文法の有機的なむすびつきを脳みそにインストールすることが、英語の勉強である!

 

to不定詞の判別の他には、-ingが形容詞なのか分詞構文なのか、it is-thatが仮主語なのか強調構文なのか、等位接続詞andが何をつないでいるのか、文の述語動詞がどれなのか、過去完了形の基準がどこなのか、wouldやcouldは過去形として使われているのか仮定法なのか

こういうこと、普段から考えてます?

生きた英語にたいする英文法の躍り食いこそが読解力をあげる唯一の方法なのですが、田舎の高校生というのは死んだ英語を刺身で食う機会しかないのではないですか?

They help themselves (        )  their lives.の空欄に入るモノは?と聞かれて

to live / living / lived / lives

からto liveを選んでも読解力は1mmも上がりません(ちなみに原形のliveでも良い)。

もしくは、↑の問題で「桃太郎がつれていったのは猿とキジと犬だから〜、3の猿とキジが正解だ〜」などと解説をしてもらっても、同じく1mmも上がりません。

 

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp