私は同じiPhoneで32GBのものと128GBのものの1万円の差額は、iPhone内に写真データを保存しておくかどうかの値段と考えて、妥当ではないと判断しました。このappleのプライシングは原価によるものではなく、消費者の価値に基準を置いたものと考えて間違いはないでしょう。私であれば写真を手元に置いておくこと、音楽が好きな人からしたら手元に大量のmp3データを保存しておくことかもしれないし、使い慣れたアプリを全て移行したいということかもしれません。
でもこれがなんとなく「前回は64GBのものだったし、次は128GBでいいか」くらいの判断だったら、全く必要のない1万円のお布施してしまうことになります。
世の中は消費者側がよく考えて判断しないと、いつのまにかお金を奪われてしまうことであふれています。
たとえば携帯電話つながりでいえば、au, docomo, softbankに毎月1万円近い月額料金を支払い続けることの価値をしっかり認識している人はどれだけいるでしょうか。「実質○○円」というのは本当の意味で「実質」になっているのか?
もしくは新車で200万円の車が登録されただけで50万円も値下がりされて中古車市場で売っているとしたら、その差額の50万円はディーラーでスーツをきた営業マンにカタログから丁寧に販売してもらうことの対価として妥当かどうか。
もちろん以上のことは人によって価値がある/無いが異なります。払わないべきと言うつもりはみじんもありません。
ちゃんと考えて判断しないと、自分にとって大して価値のないものに大金を払っているかもしれませんよ、ということを言いたいだけです。
受験でいえば、中高生は塾に行くことにお金を払ってもらうことを当然と思う傾向にあるし、それはお金を払う親においても同様です。みんなが払っているから、それを払うことが普通だと思っていませんか。
月額数万円を払うのって、家と車の次に高い買い物という人が多いはずです。でも塾で買うものは、家や車と違って目に見えません。だから、月額数万円を一体何のために払うのか、サービスを受ける生徒も支払う親も真剣に考えないと、本当にお金を払うだけ払って手元に何も残らないなんてことが日本全国至る所で発生していると思います。
塾に来て学力をつける人とつけない人に別れてしまう差は、この点の認識にあるのかもしれません。