だいぶ表題とは話題がズレますが、価格というのは大変面白い数字だと思います。
昨日書いたとおり世の中には受験生に参考書を選んであげるというサービスがありそれが数万円という金額で販売されています。学力があがるのであれば安いという見方ができますが、いくらなんでも選ぶだけでそれは無いんじゃねーのと思う人は、サービスイコール労働という固定観念に縛られているかもしれません。
大学受験の予備校というのはとる講座数を多くして週に4回も5回も通うような時間割を組むと年間100万円という金額をあっさり超えてしまうこともあるようです。これもまた、東大に行くかFラン私大にいくかで生涯年収で数千万円、下手したら億円単位で話しが変わってきますし、東大とFランまでいかなくとも大学のランクによって数百万円単位の差は余裕で生じますから、高校時代の勉強に思い切ってお金をかけるというのはそれが100万円単位であっても支払う価値があると考える人が少なくないのもわかります。
高校受験と大学受験を比較すると、後者のほうが圧倒的にその後の人生を左右しうるものですから、できることをやっておいて損はないでしょう。たとえば一宮高校卒の南山大卒と、新川高校卒の名大卒であれば大学卒業後に優遇されるのは新川卒の名大卒のほうです。(言い切ってしまって良いかは微妙なところですが、それぞれ100人のサンプルを集めればおそらくはそういう結果になるはずです)。
一方、お金をかける金額に学力が比例するかというとそういうわけではないのは確かです。サービスには合う・合わないというのが確実にあります。自分にとって合うサービスに100万円を使うのと合わないサービスに100万円を使うのとでは得られる結果が違います。ある程度、効果が見込まれるかどうかの見極めは必要です。
見極めのタイミングの多くは体験授業ですが、入塾後に意外とダメだったとなれば数ヶ月でやめてしまう、というのが多くの人にあてはまるのではないでしょうか。
しかし、価格について間違えた認識をしてしまっている人もなかにはいて、そういう人は見極めるということを避けます。
お金を払うことに満足してしまっているからです。有名な予備校が請求する100万円とか200万円とかいう数字に「これだけ払えば学力が上がるんだ」という認識をしてしまうと、お金を払っているから授業を受けさえすれば大丈夫だろうと考えてしまいます。
もちろん大学受験において授業と自習でどちらが大切かといえば5:95くらいで圧倒的に自習ですから、5の部分をどれだけ充実させても残り95がゼロであれば上限は5のままです。塾や予備校を使うのがうまい人は5をてこにして、それで30とか40だった残りの95の部分を70,80と伸ばしていくということを理解しています。
お金をたくさん払うことに満足する人は、どこかでラクをしたいう気持ちをもっています。
私はそういう人を相手にしていないので、これは予想なんですが、たぶん塾で一番儲かるのはそういうお金を払いさえすればなんとかなるんだと思い込んでいる人を一定の割合で囲うことです。そして、さらに一定の割合でそれなりに結果を出す生徒を輩出できればそれを看板にしてまたカモを集客することができるのでしょう。少々悪評は立つかもしれませんが・・・
相手をしていない、というか、「自習が大事!」と言っている私のところにはまず興味を持たないでしょうね。