普通の大学生と違って私は週6で仕事があるので、あんまり期末テストに勉強時間を割けません。なので秋学期はテストなしでレポートで成績がつくものを一つの基準として選びました。もちろん成績をもらうために勉強しているわけではないのでそれが最優先というわけではありませんが、興味ある講義のなかから選ぶ基準として大学入試直前の1月末に負担が多いものは避けました。
今年こそ大学の勉強がそれなりに私の時間を占めていますが、昨年はそれこそ受験勉強を詰め込んでいましたし、それ以前も自分の実力upのために常に何らかの問題集を解いてきました。
一方、最近生徒から学校での様子を聞くと、学校の先生は果たしてちゃんと勉強しているのかという疑問がわいてきます。教えるという仕事をやっている以上自分の学力は昨年と同じでいいわけがないし、生徒の「分からない」という感覚を理解するために自分の担当科目以外も勉強するのも当然だと思います。自分が勉強することと同様に、どうやって生徒に分かりやすく伝えるか、あるいはどういう授業の仕組みだと生徒が勉強しやすいかなど、改善点を見つけては潰していくことも呼吸をするようにやるべきでしょう。
教えるという仕事は、その行為自体が自分自身の考え方や知識を肯定する力を持つので、自分が間違えて理解していたり勘違いしていることも全て「正しい」と思い込みがちです。思い込みの代表格としては運動部顧問の「部活を辞めるヤツは受験もうまくいかない」という謎理論ですが、理論的に不完全であるだけでなく、きちんと統計をとったこともないでしょう。それでも自信満々にそんなことを言ってしまう勘違いが生じてしまうのは、教えるという仕事の一方通行の性質があるのだと思います。