月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

顔を合わせる

昨日紹介した地球博物館へは愛知県から東名高速道路で4時間、新幹線で2時間の距離にあるんですがわざわざ博物館にいったわけではなくて、祖母に会いにいったついででした。

祖母には幼少期からだいぶお世話になっているうえ、だいぶ年をとっているので会える内にあっておこうということで最近は1〜1.5年に1度は会いにいっていました。私が親に会う頻度が2〜3年に1度ということを考えると頻度はかなり高いです。

それ以外にも祖母からたまにかかってくる電話も時間のゆるす限り対応していました。「対応」というのも、祖母は常に弾丸トークなうえ最近は話のつじつまもよく分からなくなっていたのでとりあえず話が分からないなりに相づちだけ打つことが30分〜1時間程度続くだけだったので。

こちらは祖母の話がよく分からないんですが、「うんうん」「大変だね」などと相づちを打っておくと「亮太はよく話を聞いてくれる」といって感謝してもらえるのでこれもコミュニケーションの一つのありかたかと思っていました。

そんな祖母も老齢のためだいぶ弱っており入院したとの知らせがあったので、夏期講習のあいまの休日で入院中の病院に向かったわけです。

面会可能な時間にいくと「面会は1人だけ」「複数人の場合はiPadでテレビ電話」というルールをきかされて、アホかと思いつつとりあえず私だけ面会してみたら、生気を失いかけた表情からもう長くないことが一目でわかりました。

不適切を承知で例えますが、道ばたでセミが「ジジジッ」といいながらお腹を上に倒れていたらセミの一生の終わりが近づいていることが子供でも分かりますよね。そんな感じです。

名古屋〜神奈川という距離を考えれば、もうこの日が最後の会話になるだろうと。

というわけで祖母の手をにぎって、これまでありがとうと感謝の気持ちをストレートに申し上げました。

あとは妻&子供達を会わせるために、受付で「面会は一人ずつです」とピーピー言っている看護師に「今日みんなで面会できないとしたら、もう祖母は長くないだろうから、葬式で面会しろということか?」と真正面から問い詰めて無理やり病院の了承をえて面会しました。

「何かあってもこちらは責任とれない」とかピーチクパーチク言ってましたが、あとはもう死を待つだけという老人に今後何があるんでしょう?今会わなければ余命が5年くらい伸びる見込みでもあって言っているのか?祖母も「(妻も子供も)みんなつれてこい」といって会いたいと言っているのに。

というかiPadで面会とか、ふだんどれだけ血の通ってないコミュニケーションをとっていたらそんなことを思いつけるのか、そして患者とその家族に提案できるのか全く分かりません。

病院の人って人間の機能については熟知していても人間の幸せには無頓着なんでしょうか?まあ病院という大きい組織で分業すると自分の担当の仕事が世の中の全てだと思ってしまうのも仕方ないような気もしますが。

そして私の直感どおり祖母はその後一ヶ月で亡くなって、葬式にいく道で私は事故にあって葬式にはいけませんでした。

あのときうるさい看護師を押し切る形で面会しておいてよかったです。病院の作るルールなんて生身の人間が顔を合わせて話すことの尊さに比べたらハナクソみたいなものです。たとえ誰かに怒られようと嫌な顔をされようと自分が優先する価値があるものを優先するのが人生です。

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