月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

名古屋市内のモンテッソーリ教育を比較する

我が家には娘と息子がいましてとくに娘は一人目ということもあり超丁寧に育てています。言葉なんて全く何も理解していなそうな1歳のうちからEQWELL(七田式のスピンアウト)に通わせており、公文もベビー公文とかいうプリント教材に入る前の段階から入会していますし、ちゃんと教えてくれそうな教室を探し求めて自宅から1時間の公文式教室への送迎もしていました(今は教室近くに引っ越して自転車で5分になった)。

探したと言えば幼稚園。色々調べてみると子どもの教育はモンテッソーリ教育という、要は「子どもをありのままに育てましょう」的な方針が私の考えとだいたい一致していたこともあり、それならとモンテッソーリ教育の幼稚園を探しました。

ちょっと検索すれば分かるんですがモンテッソーリ教育って本当「いい感じ」のことを主張しているんですよ。愛知県にもいくつかモンテッソーリ教育を施している幼稚園があったのでそのうちの一つ(北区)にうちの娘も通わせることにしました。

たしか幼稚園に入る前のプレみたいなやつだったかな?

そこは通って一週間で「ここ絶対ダメじゃん」という結論にいたりました。一週間の間で起こった出来事が2件。

・子どもがおしっこを漏らしても帰宅するまで先生が気づかず

・同級生に顔を引っかかれて深い傷の怪我をした

その幼稚園は園児数に対して先生の数が多いというのがウリみたいなことも言ってましたが、綺麗事だけ言って結局何も見てないんだなと思いました。

その時点ですでに翌年4月に年少入園のプレ入園の手続きはどこの幼稚園も締切済みだったので、もう別の幼稚園を探すことになりました。

結局またモンテッソーリの幼稚園(次は千種区)を見つけて翌年4月から入園しました。

新しい幼稚園は地域柄おとなしい子が多くて怪我をさせられる心配などはありませんでした。ただ、入園後すぐの幼稚園の保護者参観のときに超恐ろしい光景を目にしました。

朝、園児達が登園して身支度をしたあとそれぞれが思い思いの時間を過ごすんですが、ある時いきなり「チリーン」と鈴の高い音が鳴ったと思ったら、園児達が一斉に静かになって先生のところに集まっていくのです。

その「チリーン」は先生が馴らした集合の合図なんですが、こんな軍隊みたいなことをして園児達の統制をとるのかと思って超ビビりました。いつ鳴るかも分からない鈴の音が鳴った瞬間に、自分がやっていることをやめて集合することで園児達の心が健全に育まれるのか疑問でした。

疑問はそれだけではありません。

モンテッソーリ教育では「お仕事」といって子ども達が知育玩具などでいかにも賢くなりそうなことをして、先生たちは子ども達の気の済むまでそのお仕事のサポートをすることになっています。

聞こえはすごくいいですよね。「子どもが」「自発的に」「好きなことを」「飽きるまで」「大人のサポートとともに」取り組めます。

でも実際は、年少さんのできるお仕事には制限があったり、先生のサポートを得るのにいちいち着席した状態で挙手してお願いしなければいけなかったり、折り紙1枚使うのにも先生に許可を得たり・・・。ここでも軍隊の香りが。やりたいことをできるといいますけど、結局「やってもいいこと」のなかからやることを選ぶわけで、それって「やりたいこと」ではないのでは?と思うようになりました。

園のシステムだけでなくそれを運用する職員のかたも全然ピンとこなくて、園児に対する愛情や熱意が全く伝わってきませんでした。

担任の先生からは2ヶ月に一度くらい軽いフィードバックの時間があるんですが、担任の先生は話すたびにうちの娘の「できないこと」に焦点を当てて話してきます。いやいや、自分の娘のできることとできないことなんてあなたに言われなくても分かってますがな。ダメだしされて嬉しい親なんていません。結局私は、「先生、ネガティブなことはだいたい分かっていますので教えていただかなくて結構です」と伝えることになりました。娘の同級生は折り紙をセロテープで加工していたら「折り紙にテープは使っちゃいけません」と注意されたとか。余計なお世話じゃん。

この幼稚園は先生が昼食中の園児を教室内にひとり置き去りにして電気を消す、というほぼ虐待の事件もありとんでもないところでした。

以前blogで紹介した事件もここです。

アホ習慣 - 月刊木村:清須市で営む塾での日々

結局、どれだけモンテッソーリ教育の理念が素晴らしくてもそれを運営する先生が健全に育っていなかったら意味ないんですね。

おそらく、人は自分が育ててもらったようにしか人を育てられません。

このことに気づくのに娘を実験台にして2年もかけてしまいました。

土地柄、超金持ちな家庭が多く、金持ちな家庭が通っている=うちの幼稚園は素晴らしい、と思い込んでいる高飛車な先生と園長の幼稚園という印象でした。園長は流石に夏場マスクして正門で挨拶している様子をみてそのうちぶっ倒れて亡くならないか心配なくらいご高齢でしたので威圧感はなかったんですが、40代以下くらいの現役の先生がたは圧を感じる人ばかりでした。

このモンテッソーリ幼稚園にも見切りをつけ、最終的にいきついたのは公文の先生に激推しされた幼稚園です。

そこはモンテッソーリの「モ」の字も主張していない幼稚園なんですが、教室にたくさんの絵本やおもちゃがあり、園庭に直結した教室の扉から一歩外に出ればおままごと用のお皿や机椅子などがたくさんあり、もちろん広い園庭にたくさんの遊具があり、朝娘を幼稚園に送ったときにはすでにたくさんの園児が外で遊んでいます。

モンテッソーリ教育の幼稚園よりよっぽどモンテッソーリ教育をしていました。

今の担任の先生は帰りに迎えに来た保護者にむけて毎日「今日はこんなことがあった」「みんなこんなことを考えている」という内容を細かく教えてくださいます。出来ないことをチクチク言っていわゆる優等生を量産しようというニオイは全くしません。いま園児たちが楽しんでいること、成長していることに焦点をあてています。クラスの園児たちの様子をよく観察して、それでいて干渉しすぎない絶妙な距離感です。ものすごく信頼がおけて来年も担任になってほしいと思います。

幼稚園3つを比較して分かったことは、幼稚園のかかげている綺麗事理念で選ぶのではなく、体現している教育で選ばないとダメということです。その教育を実現しているのは現場の先生なので、説明会で園長がどれだけいいこと言っていても誘惑振り切って現場の先生の行動を観察するのが肝要かと思います。

 

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