同じトップ校合格でも、それが公立高校受験なのか中学受験なのかによってその後の保護者のかたの塾選びに影響を及ぼします。私の考えでは、高校受験を経由すると当塾のような個人塾は視界から消えがちで、中学受験ではその傾向が緩やかです。
実際には影響を及ぼしているわけではなくて受験の前後でとくに変化がないものかもしれませんが、どちらにせよその価値観の違いがなぜ生まれるのか考えてみました。
高校受験と中学受験で異なるのは年齢です。自我が芽生えた15歳の受験と、まだ幼さの残る12歳の受験では親の子に対する評価が異なります。15歳のトップ校合格では、自分の子供が3年間定期テストでハイスコアをとり続けて入試まで集中を切らさなかったことに対して、子供の実力で合格をもぎとったと見えます。一方で12歳のトップ校合格では、子供の努力ももちろんですが色々良く分からない力もはたらいた結果合格に巡り会えたと見ます。中学受験では「合格した」ではなく「合格を頂いた」と言う人が多いです。不合格についても「落ちた」のではなく「ご縁がなかった」です。合格や不合格はもぎとるものではなく、やってくるものだという扱いです。
年齢だけでなく、競争相手も異なります。高校受験は同級生全員との3年間の競争です。3年間ずっと「クラスで一番」とか「学年で一桁」をとり続けることは多大な努力を必要としますが、同級生の多くに「あいつは優秀だ」と認知される3年間を過ごすと「自分には実力がある」と思うのも必然です。一方中学受験は、競争相手が一部の同級生です。しかもその同級生も、日能研のように塾内テスト順位で教室内の座席が前から決められるものでないかぎり水面下での競争です。全体像の見えにくさが、中学受験という競争における運や縁といった見えない力の存在を強化しているように思います。
と思いましたが、どうでしょう?事実半分、予想半分で書いてますので「それは違う」「その通り」などありましたら教えて下さい。私は石の研究も好きですけど、こういう人間の研究も昔から興味あります。