月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

大学受験は学力だけじゃない

大学の一般入試は学力勝負なのが面白いところですが、勉強だけではない部分も大きいです。

たとえば昨日書いたとおり、入試当日に風邪ひいてしまったら合格はほぼ消えたようなものですから、体調管理をしっかりできるかどうかが直前には関わってきます。

生活リズムを崩さないとか、食事をしっかりとるとか、人の集まるところにはいかないとか、いろいろあります。

もう一つ、この時期には勉強をただやるだけではなくて、志望校の過去問題をどれだけ研究できるかが関わってきます。

東大クラスの超難関大を除けば志望校対策は出題内容を高2のうちにおさえておいて、実際の演習は11月頃からとりくめれば良いと思うのですが、実際には12月頃にようやくセンターの対策をはじめてセンター終了後に赤本を解き始めるとか、人によっては赤本を買いにいくとかいうこともあるんじゃないでしょうか。

同じ大学の問題を5年、10年と解いていくと似た問題が何度も出てきます。模試の結果がE判定では厳しいかもしれませんが、D判定くらいか、全統模試で志望者順位が半分くらいのところに位置していれば、過去問研究次第で合格最低点にのせられる可能性は残ります。

 

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp

それは良かった・・・のか?

年末年始にかけて病欠する塾生が多く、胃腸風邪、インフルエンザ、十二指腸炎と色々な病名を耳にしました。

高3の受験生もちょくちょく病に伏したようで、センター試験前のこの時期に2〜3日勉強に集中できないのは痛手ではあるものの、本番じゃなくて良かったですね。

入試の本番は少々の寝不足くらいであればさほど影響なく乗り越えられるものですが、風邪で意識朦朧とするなか問題をとくのは普段の実力の半分も出せないでしょう。普段の実力の半分で合格できるようなレベルの大学が第一志望という受験生はなかなかいないでしょうから、試験当日体調不良になった時点で相当苦しくなります。

というわけでこの時期の病気は最悪の手よりは良かったのではないかと思います。

最悪の状況を想定して回避する、というとなんかゴルフみたいですね・・・。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp

できるようでできない、青チャ反復

そういえば新年明けましておめでとうございます。冬休み中は3週間連続出勤のなか、帰ってテレビを見るわけでもないので年末年始感ゼロの生活をしております。

昨日は「恩返しなんてクソ食らえ」という平和をみだす発言をしてしまいました。そんな私でも、幼少期は盆と正月に父方の実家である島根県に毎年里帰りしており、ちゃんと餅つきを手伝って、ちゃんと紅白歌合戦をみて、ちゃんと「あけましておめでとうございます」と祖父母に挨拶して、ちゃんと「ありがとうございます」といってお年玉をもらって、おじいちゃんおばあちゃんのお年玉最高!と思っていた、可愛い時代がありました。

何も無いと言われる島根県ですが、宍道湖というシジミの名産地をかかえておりまして、里帰り中の朝食はシジミの味噌汁と白米が基本でだされます。これが大変美味しいので、今でも妻がシジミの味噌汁をだしてくれると私は喜びます。

しかしその他には基本的には何もありません。いやむしろ、何もないということがそこにはあるというほうが良い表現かもしれません。今思えば、鶏小屋のニワトリたちがその日の朝に生んだ卵が食卓に並び、目の前の畑でとれたお米で炊いたご飯を食べるというのは贅沢の極みだし、夏の夜にはカエルの大合唱の音と壁にかかった般若のお面による恐怖で眠れないとか、朝起きると道路にはカエルの轢死体が散乱しているとか、自然とともに生きるという経験は、私の生まれ育った神奈川県や現在住んでいる愛知県ではできるものではありません。

経済価値では決して測れない豊かさがあるのは確かです。

 

と、ちょっと平和をもたらすことを書きましたので本題を!

明けましておめでたい話題を提供したいのですが、新年そうそう成績を爆上げする話題もタイミング良く出てこないので昨年末に高1の生徒が成し遂げた爆上げをご紹介したいと思います。

11月の進研模試で数学の全国偏差値が70、校内偏差値にいたっては85overのダントツ1位を成し遂げた生徒がいます。

数学の全国偏差値70はちょくちょく見る数字ですが、校内85は珍しいので笑えました。

勘の良い方ならお気づきのとおり、全国平均よりもその高校のレベルが低いということですが、高校のレベルが低いということは同級生が勉強しないパッパラパーばかりであり、勉強する雰囲気がないなかで奮闘しているということですから、大変価値のあることだと私は思います。

というか、ゆるい環境のなかで自分に厳しく出来るということは私にとっては理想で、厳しい環境でケツを叩かれて仕方なくやるよりもはるかに精神が成熟するのではないかと思います。

さて、彼がそこまでダントツの学力を得た要因を考えますと、授業の進度どおりにちゃんと青チャートを繰り返し演習しているという点が大きいように見えます。この1年は「チャートは5回繰り返せ」と念仏のように唱えることが多かったのですが、身につくまで繰り返せるかどうかというのがポイントで、5回で身につかなければ10回やれば良いのだし、逆に3回で身につけばそれはそれで良いのです。

ただ最終的な解答が一致したとかいうだけで「出来た」とみなして2回目、3回目を繰り返さないとかそういうlazyな姿勢が彼にはありません。夏頃に「チャートの演習は、計算が作業になっちゃったらやめていいですか」と聞かれて、「いいよ」と答えたのを覚えています。本当にやりこんで理解が進むと、演習がただの作業にしか感じられないときが必ず来ます。そのときには次の問題や次の単元に進んだり、もしくはさらにレベルの高い参考書に手をつけることになります。

うちの塾で数学がダントツに出来る生徒の共通点は、ずばり2点です。言われたことを言われたとおりに取り組める素直さを持っていることと、自分にたいする厳しさを持っていることです。

 

f:id:sodeng:20170105222325p:plainドドン! 

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp

恩返しなんてしちゃいけませんよ

高校サッカーにはまっていた時期がありまして、当時会社員だったのですが周囲にはゴルフ好きはくさるほどいるのに高校サッカー好きはいなくて、色々思ったことを誰とも話せずにこんにちに至っておりました。

しかし、最近元サッカー部の高校生が塾にきてくれまして、その彼と高校サッカーの話で盛り上がることができ、4年ごしの悲願を達成したわけです。

鵬翔高校はイケメンが多いとか、あの高1の10番が見られなくて残念だとか、京都橘の仙頭&小屋松のコンビが京都サンガで復活するかもとか、話しました。

高校サッカーは後半の残り5分+ロスタイムで逆転することが多いような気がして、最後までどう展開するか楽しみに見ていられます。そういう逆転劇をみると、最後まで諦めてはいけないなと高校生に学びます。

私が気になるのは、優勝近くなってインタビューされる高校生達がみな「今まで支えてきてくれた人に恩返しがしたい」と口をそろえて言うことです。

高校サッカーだけでなく、色々なところでこの手のセリフを耳にします。

そこで私は言いたい。

恩返しなんて、恩を与えてくれた人にしたって何の意味もない!

恩返しすることなんて考えるな!時間の無駄無駄無駄無駄!

「恩返し」という言葉は本当に耳がむずむずするほど嫌いです。

よく考えてください。恩返しは、支えてくれた人にすべきものではありません。自分がされたことを、誰か他人にするべきなのです。だって、何かしてくれた人にまた何かやりかえしたら、そこで終わってしまうじゃないですか。

f:id:sodeng:20161229123843p:plain

ほら!やってもらって人に、何かやり返したらそこでおわり。二人がちょっとずつ満足して、終わってしまいます。だいたい、恩返ししてもらって満足する人なんて最初から見返りを求めているということであり、最初から見返りを求めるような奉仕などどうせたいしたものではないのです。

では、誰かに何かをしてもらった人が、私みたいな非情な人間で「恩返しなんてくそ食らえだ」といいつつも、同じように誰か他人に奉仕したらどうなるでしょうか。

f:id:sodeng:20161229124049p:plain

こんどは、うまくいけばドミノ倒し式(数学的帰納法的に)どんどん連鎖していきます。恩返しなど当事者同士の自己満足でしかありませんが、恩返しなど無視して次の人間に奉仕すれば、それは社会全体に広まっていく可能性があります。

高校サッカーで勝ち進んでインタビューされたら「恩返ししたい」などといかにも優等生な発言をするのではなく「とにかく勝ちたい、そうしたら僕がめちゃくちゃ嬉しい」くらいの本音を吐いておけばよいんです。優等生をみて「僕もサッカーがしたい」と少年たちが思いますかね?思いませんよ。楽しくサッカーをさせてもらったことに恩を感じるのなら、自分が他人に楽しいサッカーの経験を提供できるにはと考えるべきです。

私は、誰かに何かをしてもらってもその人に返すより、受け取ったものを次にどうつなげていくかのほうがずっと大事だと考えています。

父と母には愛をそそいで育ててくれたことに感謝はしていますが、親孝行をしようとは思いません。私は親のために生きているわけではないですからね。そのかわり、次は自分がそういう家庭をつくらなければいけないとは思います。

新宿で働いていたときに会社の先輩で辻さんという人がいて、ランチや飲みにいくとひたすら全ておごってくださったのですが、じゃあ私はたまにはお礼のおごり返し(?)を提案するのかというとそんなはずはありません。

受け取り続けたかわり、私が名古屋営業所のときに同僚であった後輩の岩本君に、今度はひたすら全ておごり続けました。たぶん、彼もまた後輩におごり続けたのではないかと思いますが。

親の次に大きないただきものをしたのは、高校のときに通った塾の先生です。学力というその後の財産になるものをいただきました。 教えてもらった勉強法は、大学時代に塾講師や家庭教師のバイトで数十人の中高生につたえてきたし、大学卒業後も勉強方法のことを発信するウェブサイトをつくって、何人かはメール相談などもしました。

塾で私が提供しているものは、いわずもがなです。

というわけで、恩は本人に返すのではなく他人に送るものだというのが私の考えでございます。

英語ではpay it forwardという表現でございます。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp

それ問題集の答え写しただけだろ!

最近の中学生の数学は、問題集の一部を印刷してわんこそば形式で演習させています。今日も、以前「計算速っ! 」の記事で紹介した他の生徒の2倍速で計算をしてしまう中学生が鈍行列車を抜き去る特急列車かのようにバリバリ計算をしていていました。

プリントをやりおえたら私が採点するのですが、簡単な方程式の問題をすべて暗算してしまうのはもちろん、「A地点から兄が分速40mで出発したあと5分後に弟が・・・」みたいな文章題も暗算していて、度肝をぬかれたわけですが・・・

ふとここで疑問がわきます。

「暗算で答えだけ導くと学校でワークを提出するときに、答えを写しただけだと疑われるのでは?」

という疑問です。

「ああ、それはいつも疑われます」

と言っていました。そりゃそうだ。笑

「暗算で計算していると言っても、信じてもらえません」

そりゃそうだ。

横にいた生徒が「隣で計算しているのを見ていても信じられないよ」とツッコんでいました。笑

先生、この生徒はちゃんと計算していますよ。ちゃんと評価してください。

ちなみに、そろばんは小学校時代に週4で通って鍛えたらしいです。前回の記事をみて「うちの子供にもそろばんをやらせよう」と思ったお母様がた、残念ながら週1程度ではほとんど計算力に影響はないものと思われます!

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp