月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

恩返しなんてしちゃいけませんよ

高校サッカーにはまっていた時期がありまして、当時会社員だったのですが周囲にはゴルフ好きはくさるほどいるのに高校サッカー好きはいなくて、色々思ったことを誰とも話せずにこんにちに至っておりました。

しかし、最近元サッカー部の高校生が塾にきてくれまして、その彼と高校サッカーの話で盛り上がることができ、4年ごしの悲願を達成したわけです。

鵬翔高校はイケメンが多いとか、あの高1の10番が見られなくて残念だとか、京都橘の仙頭&小屋松のコンビが京都サンガで復活するかもとか、話しました。

高校サッカーは後半の残り5分+ロスタイムで逆転することが多いような気がして、最後までどう展開するか楽しみに見ていられます。そういう逆転劇をみると、最後まで諦めてはいけないなと高校生に学びます。

私が気になるのは、優勝近くなってインタビューされる高校生達がみな「今まで支えてきてくれた人に恩返しがしたい」と口をそろえて言うことです。

高校サッカーだけでなく、色々なところでこの手のセリフを耳にします。

そこで私は言いたい。

恩返しなんて、恩を与えてくれた人にしたって何の意味もない!

恩返しすることなんて考えるな!時間の無駄無駄無駄無駄!

「恩返し」という言葉は本当に耳がむずむずするほど嫌いです。

よく考えてください。恩返しは、支えてくれた人にすべきものではありません。自分がされたことを、誰か他人にするべきなのです。だって、何かしてくれた人にまた何かやりかえしたら、そこで終わってしまうじゃないですか。

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ほら!やってもらって人に、何かやり返したらそこでおわり。二人がちょっとずつ満足して、終わってしまいます。だいたい、恩返ししてもらって満足する人なんて最初から見返りを求めているということであり、最初から見返りを求めるような奉仕などどうせたいしたものではないのです。

では、誰かに何かをしてもらった人が、私みたいな非情な人間で「恩返しなんてくそ食らえだ」といいつつも、同じように誰か他人に奉仕したらどうなるでしょうか。

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こんどは、うまくいけばドミノ倒し式(数学的帰納法的に)どんどん連鎖していきます。恩返しなど当事者同士の自己満足でしかありませんが、恩返しなど無視して次の人間に奉仕すれば、それは社会全体に広まっていく可能性があります。

高校サッカーで勝ち進んでインタビューされたら「恩返ししたい」などといかにも優等生な発言をするのではなく「とにかく勝ちたい、そうしたら僕がめちゃくちゃ嬉しい」くらいの本音を吐いておけばよいんです。優等生をみて「僕もサッカーがしたい」と少年たちが思いますかね?思いませんよ。楽しくサッカーをさせてもらったことに恩を感じるのなら、自分が他人に楽しいサッカーの経験を提供できるにはと考えるべきです。

私は、誰かに何かをしてもらってもその人に返すより、受け取ったものを次にどうつなげていくかのほうがずっと大事だと考えています。

父と母には愛をそそいで育ててくれたことに感謝はしていますが、親孝行をしようとは思いません。私は親のために生きているわけではないですからね。そのかわり、次は自分がそういう家庭をつくらなければいけないとは思います。

新宿で働いていたときに会社の先輩で辻さんという人がいて、ランチや飲みにいくとひたすら全ておごってくださったのですが、じゃあ私はたまにはお礼のおごり返し(?)を提案するのかというとそんなはずはありません。

受け取り続けたかわり、私が名古屋営業所のときに同僚であった後輩の岩本君に、今度はひたすら全ておごり続けました。たぶん、彼もまた後輩におごり続けたのではないかと思いますが。

親の次に大きないただきものをしたのは、高校のときに通った塾の先生です。学力というその後の財産になるものをいただきました。 教えてもらった勉強法は、大学時代に塾講師や家庭教師のバイトで数十人の中高生につたえてきたし、大学卒業後も勉強方法のことを発信するウェブサイトをつくって、何人かはメール相談などもしました。

塾で私が提供しているものは、いわずもがなです。

というわけで、恩は本人に返すのではなく他人に送るものだというのが私の考えでございます。

英語ではpay it forwardという表現でございます。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp