月刊木村:清須市で営む塾での日々

相伝学舎という塾を経営しています。好奇心の格差時代に、大学受験を通じた成功体験の場を提供することが使命です。

自分の足で立て

私たちは生まれてからすぐ、肉体的に自立することを求められるのですが、精神的な自立はなぜか否定され続けます。

肉体的な自立というのは、単純に二足歩行することです。生まれてからハイハイをして、何かにつかまってたてるようになり、その後歩けるようになること、この成長を否定する親はどこにもいません。出来ることなら、はやく二足歩行出来るようになって欲しいと思うでしょう。

中学生になり思春期を迎えると親に反抗的な態度を取るようになるのは、それまで親の価値観で生きていた人間のなかで自分の価値観が芽生え、それに従おうとしていることのあらわれです。私にはまだ子供がいないので、子が思春期を迎えたときの親の悲しみはわかりませんが、精神的自立における反抗期とは肉体的自立におけるハイハイと比較できるのではないでしょうか。だとすれば、歓迎すべきことです。

高校生くらいまでは日本人はほぼ横並びの人生を歩むのですが、大学受験・進学の年齢から一気に方向がバラバラになります。その時点で精神的に自立している人間は自分の行きたい道をみつけて歩き出しますが、多くの人間は精神的に自立しきれていないので大多数と同じ道を歩こうとします。進学校の生徒なら、多くの生徒は「高校の同級生の上位半分が進学する大学にいければいっか」くらいの考えをしていることでしょう。清須市を含む尾張地域において、「コッコウリツ」大学に進学することが素晴らしいことと思われているのは自立できない高校生にとって、それを目指すことがラクな選択だからです。

この時期に同級生とは違う選択をしようとするのは勇気が必要なことですが、それと同時にその勇気を後押しできる自分なりの考え=論理も必要です。この論理こそが精神的自立の象徴だと私は考えています。誰に否定されても自分の道を歩けるのは、その選択が自分の頭で考えた結果であることと過去の経験の2つの要素が必要です。

私は「コッコウリツ」大合唱のこの地域において、東大に行きたいとか早慶に行きたいとかいう相対的に珍しい考えを伝えてくれる生徒が好きで、それは精神的二足歩行の第一歩だと思うのでできる限りその希望を叶えられるよう、受験戦略を一緒に考えます。赤ちゃんが歩きだそうとしたときに親が頑張れと思う気持ちと同じです。しかし、そういう珍しい選択をしようとすると学校の先生を始め、ひどい場合には親からも反対されることが多いのが現状です。これが不思議なのですが、肉体的に二足歩行をしようとする1歳児は全力で応援するのに、精神的に二足歩行をしようとする16歳には応援するどころか邪魔をしようとするのです。

意味不明すぎるので、そうやって反対するのはおそらく精神的に二足歩行できていない大人のような赤ちゃんなのではないかと思えるほどです。

自分の足で立ちましょう。

清須市の大学受験 相伝学舎
http://www.sodeng.jp