大学受験で学力といえば難しい数学の問題がとけるとか、単語をたくさん覚えているというような、ペーパーテストに直結することを指すように考えられていますし、私も最近までそうだと思っていました。
しかし、学力以前に終了している生徒が少なくないことを知ると、当たり前のことでさえ学力である、言い換えれば当たり前のことでさえ教育の成果であるのではないか、と思わざるを得ません。
当たり前のこととは何か
・志望校のレベルに対して今の勉強方法では受験までに間に合わないと判断できる
・高校の勉強と大学受験の勉強に違いを感じることができる
・時間は有限であると理解する
・自分の学力に志望校を合わせるのではなく、志望校に自分の学力を合わせると考える
・大学受験で人生の方向性がだいぶ具体的になることを想像できる
・教えを請うことができ、教わったとおりに勉強を継続できる
数え出せばキリがありませんが、とりあえず以上の6点が備わっていればスタート時点の学力が低くてもたいていの大学は挑戦可能です。そういう生徒が最後までE判定ということはよほどないとは思いますが、かりに最後の模試でE判定だったとしても「のこり1ヶ月で合格点まで学力が伸びるから大丈夫」と自信をもって励ませます。
以上の6点はご家庭での教育の成果というほかなく、学力の向上というのはどれだけ私が効率的なことを教えたとしても生徒の上記のような判断力に頼らざるを得ない以上、塾というのはハンバーグにパセリをのせるとか、ケーキにミントをのせるとか、お刺身にタンポポをのせるだけの簡単な仕事以上の存在にはなれないのではないか。(※刺身についているのは菊)
しかし、6点が備わっていても、勉強方法という最後のタンポポがショボいと受からないのが大学受験なので、簡単なお仕事といってもそれなりに存在意義はあると思ってます。とくに田舎の公立高校というのは私が救える命がたくさんある。
以上のことを考えると、まだ大学受験がずいぶん先というご家庭におかれましては、「勉強しろ」とケツを叩くよりもご子息・ご息女の判断力を養うことを考えていただいたほうが、よっぽど最終的な学力に結びつきますし、勉強面以外でも色々充実してくるんじゃないかと甚だ僭越ながら木村は思うのです。