しかし塾には限界がありまして、たとえ塾で自由にやらせようとしてもこの辺だと大変大変ありがたいことに学校がいくらでも宿題や追試を与えて下さいますから、結局主体性が芽生える前に生徒は時間を消費する傾向にあります。宿題やると「やった感」を得るのは容易ですから、このままじゃヤバイかもという危機感はどんどん遠のきます。
人間は他人に評価されると嬉しくなってしまうので、「宿題を出したボクはちゃんと勉強しててえらいでしょ」とか「定期考査で平均より上になったから立派でしょ」みたいな感じで、自己肯定してしまうんです。自己肯定感が高まるのはいいんですが、あんた大学受験するんじゃねーの?それだったら「模試はイマイチだけど、しかたないよね」的な考えは見直すべきでしょ。
というツッコミも、あんまり効きません。中学3年間で先生に評価されるという行動が完全に頭に染みこんじゃうと、そこからパラダイムシフト起こすのは私みたいなヘボ塾講師では無理。
もともと斜に構えるタイプがかろうじて「大学受験で必要なのは先生からの評価じゃなくて本当の実力だよね」と心のどこかで思っていると、私の教え方と共振してとんでもなく成長するのですが・・・。
そういう風に、定期考査や宿題などによる短期的な自己肯定感に頼らないでもアイデンティティを保っていられるのって、自己肯定感という水分が他人にじょうろで与えられるものではなくて泉のように自分のなかに備わっているから出来るんですね。
ではそういう泉はどこで手に入れるのかというとおそらく生まれた日からの家庭での生活が主な製造場所です。学校から与えられる自己肯定感に頼らなければならないというのは、家族から認められてこなかったことの裏返しのような気がしてなりません。